1997年8月10日、ナゴヤドームでドリームカードが実現した。
グレート・ムタVS小川直也の異種格闘技戦。特別レフェリーはアントニオ猪木だ。
試合前のボディチェックの時、ムタが猪木の顔面に毒霧を噴射!
怒りの猪木はムタの顔面に張り手を食らわし、小川に「行け!」と手で合図したように見える。
ゴングが鳴ると、小川がムタに突進して蹴りまくる。
目潰しにあった猪木はリングを下り、そのまま試合を観戦。
レフェリー不在の無法地帯となったリング上。こうなると悪の化身・ムタの独壇場になってしまう。
ムタは小川の黒帯を解き、黒帯で首絞め!
完全な反則攻撃だが会場からは「落とせコール」が巻き起こる。
小川は初戦で橋本に勝利してから大ヒールになってしまった。
正々堂々と闘ったのだが、招かざる客の匂いがもともとしていたのだろうか。
武藤は柔道の有段者だが、小川は五輪銀メダルの世界的な実力者。
しかし、ムタが小川を一本背負いで投げた。
小川もやられっ放しというわけにはいかない。
ムタを投げ、得意の三角絞めを極めようとする。ところがムタが毒霧!
最後はムタが腕十字固めを極めたが、何と指をつかんで折り曲げている。
激痛に耐えかね、苦悶の表情の小川が両足をバタバタさせているが、猪木は動かない。
じっと険しい顔のまま、猪木は試合を見ているだけだ。
小川は技を解けない。ここでタイガーキングがタオルを投入した。
首絞め、毒霧、指折りとムタの何でもアリの洗礼を受けた小川。
5月3日の試合でも、ダウンして四つん這いになっている小川の顔面を橋本真也が思い切り蹴って失神させられた。
今思うと、小川に「プロレスの何でもアリ」を教えたのは、猪木よりも先に、新日本のトップレスラーだった。
「ダウンしている相手を攻撃してもいい」「勝てば官軍、負ければ賊軍」「勝つためなら何をしても許される」
これらプロレス流の喧嘩殺法は、試合を通して、小川の胸中深く刻印された可能性はゼロではない。
柔道着を身につけた礼儀正しい小川直也が、セメントレスラーに変身するのは、まだ先の話である。