新日本プロレスとUWFの抗争が激化するなか、突如組まれた黄金カード。
1986年4月29日、三重県・津市体育館で、前田日明VSアンドレ・ザ・ジャイアントという夢の対決が実現した。
UWF前の前田はアンドレにヒップドロップでフォール負けしているが、当時の前田と今の前田は全く違う。
しかしアンドレにとっては、あっさり負かした記憶から、前田を恐れていなかったかもしれない。
船木誠勝は当時、藤波辰巳の付き人だったから、藤波と一緒に控室からこの試合を観戦していたが、なぜか猪木をはじめ全員がモニターに釘付けになっていたと証言する。
まるで、この試合で何かが起こると最初からわかっていたかのようだった。
アンドレは前田の技を一切受けない。いつもは笑いながら試合するアンドレの顔が怖い。真剣だ。
前田がロープに飛んで普通にプロレスをしようとしていたが、いきなり顔面に裏拳が飛んで来た。相当痛かったのか、前田が焦り顔になる。
アンドレはフルネルソンで前田を押し潰し、全体重を浴びせた。
柔軟で強靭な首を鍛え上げていた前田だから助かったが、一歩間違えば首が折れている。
明らかにアンドレの様子がおかしい。前田は、トラブル処理班的な役目も担っていた星野勘太郎がリングサイドにいたので「どうするんですか?」と聞いた。
星野は「俺に聞くな」と言って逃げた。「ビッシビッシ行ってやれ」とは言ってくれなかった。
前田は新人時代、絶対にセメント(真剣勝負)をやってはいけないと先輩たちから固く言い聞かされていた。
やはり新人時代に叩き込まれた指導というのは残っている。だから困ったのだ。
何とかプロレスとして成立させたいと思ったが、アンドレにその気はないらしい。
するとリング下から藤原喜明が怒鳴る。「何してるんだ! 早く行け! 殺されるぞ!」
前田もスイッチが入った。あとで咎められたら藤原さんのせいにしようと決め、いよいよシュートを始めた。
もともとレスラーになる前から喧嘩三昧の空手少年だ。シュートに関してはアンドレよりも一枚上だった。
前田が膝が骨折するようなローキックを連打すると、アンドレも気づき、闘うのをやめる。
互いに入り込めない。ただリング上で睨み合い、ゆっくり回るだけだ。完全な不穏試合だ。観客も騒然とする。
船木は前田との対談で、この試合に関して、ずっと疑問に思っていたことを聞いた。
相手がセメントを仕掛けて来たんだから、普通はやり返す。なぜアンドレにトドメを刺さなかったのか?
あの試合で、前田の頭をよぎったのは、今後のことだった。
ずっとこのまま新日本でファイトするとは限らない。もう一度UWFが独立して興行を打つかもしれない。
もしも前田はキレると相手選手を破壊してしまうというレッテルを張られたらどうなるか。
そんな危険な試合をする前田がいる団体だと、怖くて放送できないからテレビがつかなくなる。
やはりプロレス団体を運営するためにはテレビ放送が欲しい。
もう一つは、前田はキレたら相手を壊すという噂が流れたら、外国人選手を招聘してもみんな断ってしまう。
そんな危険な団体のリングには上がりたくないと思ってしまう。
223センチ、重い時で260キロある世界の大巨人がセメントを仕掛けて来ているのだ。並みのレスラーなら殺される恐怖に震えるかもしれない。
ところが前田は、アンドレとのセメントマッチの途中に、そんな将来のことを考えていたのだ。
これは相当余裕がなければ無理だ。
アンドレは最後、リング上に寝っ転がってしまい、こんな試合やってられないと両手を広げるアメリカンポーズ。
前田はこの時も、アンドレをフォールすると賞金がもらえるということを思い出し、体固めしたが誰もカウントスリーを数えてくれなかった。
セメントで相手の体に不用意に覆いかぶさるのは危険だ。下からどんな技を出されるかわからない。何というアイアンハートか。
試合は無効試合。もしも前田潰しを画策している者がいたとしたら、誤算だっただろう。
アンドレが本気を出しても潰せなかったと、前田の強さを証明する試合になってしまった。
誰かがアンドレに「最近の前田は生意気で、プロレスの暗黙の了解を無視している」とあることないこと焚きつけて、アンドレが「じゃあ俺がちょっとこらしめてやる。プロレスのいろはを教えてやる」
それが発端で、伝説の不穏試合が生まれてしまったという説がある。
しかし、あくまでもアンドレは「自分の意志」と言い張り、前田潰しを誰かが画策したという説を否定した。
真相は今も闇の中だ。
猪木は試合後、前田に「あれでいいんだ。レスラーは舐められちゃいけない」と励ました。
しかし、前田の新日本と猪木への不信感は募るばかりだった。
この前田の激しい怒りは、その後の試合で、最も過激な形で表れてしまうことになる。