ユーモア研究を長年続けている。笑える漫画は多いが、笑える小説というのは少ないと思う。
小説で読者を笑わせることができたら、かなりの武器になる。
人との会話やスピーチは、受けたか滑ったかがその場でわかる。しかし小説は反応がわからない。
私もユーモアセンスに自信があるわけではない。滑ることはよくある。
昔、会社の朝礼の挨拶でギャグを炸裂させて滑った時があるが、精神的ダメージは計り知れない。
逆に受けた時の喜びは大きい。
守りに入って無難な話をするより、一か八か狙ってかますことにより、どういう話が受けて、どういう話が滑るかを徐々につかんでいった。
プロレス的ギャグは受けるが競馬ギャグは受けない。
プロレスギャグを炸裂させる人が珍しいというか、ほとんどいないので受けるのかもしれない。
競馬ギャグが受けないのはなぜだろうか?
私はB&Bやツービートが一世を風靡した漫才ブームを知っているから、なかなか最近の芸人が面白いとはあまり思わない。
バラエティ番組でのトークで面白いことを言う芸人はいるが、声を上げて笑うとなると、なかなか難しい。
ナイツの漫才は笑ってしまうが、あとのコントや漫才は、面白いと思うことがあっても声を出して笑うまではいかない。
映画は参考になる。
「カメラを止めるな!」は、最初映画館に観に行った時、売り切れだった。驚いた。売り切れになることなど近年なかった。
仕方なくあさってのチケットを買い、観に行った。いつもはガラガラの映画館が超満員だからびっくりした。
序盤は笑えないが、クスクス笑いを堪えている人たちがいる。どうしてこの場面で笑えるのかと不思議に思ったが、後半でその意味がわかった。
なるほど、序盤で笑っていた人たちは二回目なのだ。後半は爆笑の連続だ。
いつもならガラガラだから笑うシーンでもヤヤウケになるが、超満員だから大爆笑になる。
映画館で超満員も大爆笑も久々で新鮮だった。超満員は「もののけ姫」以来かもしれない。
この「カメラを止めるな!」は、意味がわかってからもう一度最初から観たくなる映画だ。
私も二回観た。やはり超満員。序盤で笑いを堪え、後半で再びの大爆笑だ。
あそこまで笑わせるのは素晴らしいと感嘆する。
ほかには、ロバート・デ・ニーロ主演の「ミッドナイト・ラン」が笑える。あんなに面白い映画はない。
私の中では「ヒート」と並んで、ロバート・デ・ニーロの最高傑作だ。
「ミッドナイト・ラン」はコメディではない。巨悪を倒す真剣なアクション映画だ。
主人公のジャック・ウォルシュ(ロバート・デ・ニーロ)がとにかくカッコイイ!
そして、一緒に逃亡する相棒のジョナサン(チャールズ・グローティン)が面白い。
ジャックとジョナサンのやりとりが笑いを誘う。声を上げて笑った。口論で笑いを取るという手法は小説でもできそうだ。
コメディなら笑いがあるのが当たり前だ。「ミッドナイト・ラン」は全体のストーリーはシリアスな作品だけど、何度も笑えるシーンがあるというのが、大事な急所だと思う。
制作陣は、最初、ジャックの相棒をヒロインにしてお色気路線を考えたが、ロバート・デ・ニーロは断固反対した。
余計なお色気シーンが作品全体を台無しにすることもある。そこはロバート・デ・ニーロの映画センスが光る。
相棒はチャールズ・グローティンで大正解だったのだ。
ユーモアセンスだけは、天井がないので一生磨いていくしかない。こればかりは机上の空論ではなく、実際に会話でギャグを炸裂させ、受けるか滑るかを実験するしかない。
滑ることを恐れないことが大事だと思う。
ダメなギャグはいじりだ。芸人の場合はいじられるのが「おいしい」場合があるが、現実は違う。
いじっているつもりが、ただのイジメやパワハラになる危険性がある。
よほど親しくて信頼関係があって、対等の立場なら大丈夫だが、先輩が後輩、あるいは上司が部下をいじる場合、パワハラになる恐れがある。
ユーモアセンスがない上司のいじりは辛辣で笑えない。部下や後輩をけなして受けを狙うのは良くない。上下関係があるとお返しのいじりができない。
自分を三枚目にして受けを狙うのは面白いと思う。気取りのない寛大さを感じる。
今でも自分が書く小説には笑いを入れるように心がけている。
やはり狙い目は口論シーンだろう。