とある映画を観たが、改めて、自分が書く小説だけは、ご都合主義は排除したいと思った。

 

創作におけるご都合主義とは、主役がピンチに陥っても、助かってハッピーエンドにするために都合よく物語を展開させることだ。

 

映画やドラマでもこのご都合主義は結構よくある。

 

ヒロインを人質にとっても、拘束するわけでもなく、5分も10分も目を離しているまぬけな犯人。

 

その隙に眠り薬を飲まされてお寝んね。そんな甘い現実はない。

 

何のために人質にとったり監禁するのか。何もしないで放置して海を眺めたり、音楽かけて踊ったり。意味がわからない。

 

決してヒロピン(ヒロインピンチシーン)を期待して怒っているわけではない。

 

もしも視聴者や読者をハラハラドキドキさせたいのなら、ご都合主義はマイナスでしかない。

 

 

逆もある。私がドキドキした映画は「マッドマックス」だ。

 

魅力的なヒロインが水着姿で日光浴。場面は変わって荒くれギャングの暴走軍団がバイクで走っている。

 

もしも暴走軍団が海へ向かっているとしたら、早く逃げなければいけないのに、彼女は横になったままだ。

 

別のシーンでも、ヒロインが暴走ギャング団に囲まれてしまう。これは怖過ぎる。恐怖が伝わってきた。

 

 

私は小説を書く時に悪の目線を重要視している。悪党というのは、そんなに甘くない。冷酷非道なものだ。

 

善良な市民がとても考えつかない、想像もしないような悪事を働く。

 

悪の目線を知り、リアルに悪党の心を描けるように、悪の発想。悪党が考えることを常に研究している。

 

 

映画やドラマでよくあるご都合主義は、始めから逃げ道を用意することだ。

 

女性刑事が敵の手に堕ち、天井から吊るされて、犯人たちに囲まれて大ピンチ。

 

ナイフを彼女の喉もとに向けて尋問し、正直に答えないと体に聞くことになるぞ、というお決まりのセリフ。

 

ところが、女性刑事はいきなりそのナイフを口に加えて縄を切り、男たちをキック、パンチの雨霰で全員なぎ倒し、脱出。

 

まずあり得ない。

 

狡猾な悪党なら、縄ではなく手枷だ。これなら切れない。両脚が自由だと両脚で首絞めもあり得るから、両脚も拘束する。

 

そもそも拷問の目的は心を折ることだから、服を着たまま吊るすことはないが、そこはドラマや映画だから仕方ないか。

 

小説も同じで、一糸まとわぬ姿で吊るすと反則負けになる恐れがある。

 

服はともかく、始めからヒロインが脱出できる用意がされているパターンというのは、本当に多い。

 

これはどう考えても逃げ道がないという絶体絶命の大ピンチに追い込まれて、初めてハラハラドキドキできるヒロピンになる。

 

まだ警官隊が突入して女性刑事を助けたほうがリアリティのあるシーンになると思う。

 

あるいは、良心の呵責から改心した犯人グループの一人が助けるというケースもある。これはご都合主義ではない。

 

人は悪にも善にもなれる存在だから、そういう人間模様は面白いと思う。

 

見張りの男が人質にしたヒロインの魅力に惹かれてしまってわざと逃がす。これもご都合主義とはいえない。

 

 

とある映画で、一旦自力で脱出したヒロインを犯人が「しまった!」と血相変えて追いかけて、見事に・・・じゃなかった、残念ながら捕まえてしまい、アジトに連れ戻して「テメーよくも」と迫る怖いシーンがあった。

 

逃げて捕まった場合、もちろん危険度は高まる。

 

私の中で「逃げのびてくれ」という善の心と「捕まってほしい」という悪の心が交差し、葛藤した。

 

ここまで人の心を揺さぶるとしたら作品として成功ではないかと思う。「揺さぶられるほうがおかしい」というツッコミには反論できないが。

 

独り言はさておき、ともかくご都合主義だとハラハラもしないし、ドキドキ感がなく、冷めて見てしまう。

 

反則負け一歩手前のギリギリのラインまで攻めたい。

 

サソリ固めを掛けて、相手がロープをつかむ。レフェリーが「ブレイク、反則、ワン、ツウ、スリー、フォー」で技を解き、脚にジャンピングニードロップ!

 

「NONONO!」とレフェリーが怒る。「今度やったら反則負けにするぞ!」

 

これはダーティープレイではあるが、ダメージを負わせることができる。

 

小説も、読者が安心して、食事しながら読めるようではダメだと思っている。

 

ファミレスで食事しながら本を開き、読み始めたら、ナイフもフォークも置いて夢中になってのめり込んでしまう。

 

そんな小説を書きたい。ご都合主義を排除し、心を揺さぶるのだ。

 

読み始めたら最後、途中で本を閉じることができないと謳われたシドニィ・シェルダンの小説。作家ならばそういう意気が大事だといつも肝に銘じている。