張飛は短気で酒乱という欠点があり、酒で失敗したこともあるが、強靭な生命力の持ち主で、1対1の戦闘なら誰にも負けない自信があった。
これで勝負したら誰にも負けないというものを持っている人間は強い。
張飛と劉備は桃園の誓いで義兄弟の契りを交わしたが、それよりもかなり前に出会っている。劉備が賊に命を狙われた時、張飛が助けた。劉備にとって張飛は命の恩人なのだ。
たった一騎で敵軍に突進し、八百八の屍の山を築いた八百八屍将軍と謳われる張飛は、まさに武勇で最強を誇る。
張飛がまだ無名の足軽時代、戦場で呂布と一騎打ちになった。互角の死闘を演じる両雄に、互いの兵士が思わず見入ってしまう。
三国志の中で最強といえば呂布だが、その呂布と互角に渡り合った張飛もやはり最強クラスだろう。
ただ、張飛と関羽が二人でかかっても呂布のほうが押していたのだから、呂布はまさに鬼神だ。
張飛は人一倍正義感が強く、大感情あふれる大情熱の人だ。威張りくさった官軍や役人が許せなかった。
視察官の督郵は劉備が賄賂を寄越さないことに腹を立て、村人に嘘の証言を書かせた。善政で皆から尊敬を集めていた劉備が無実の罪で裁かれようとしている。
そのことを知った張飛は大激怒。
張飛は督郵がいる部屋に猛豹のごとく乱入し、督郵に殴る蹴るの暴行を加え、木に吊るし、柳の枝で乱打した。
極悪に屈しない痛快なシーンだ。
実際は劉備が督郵を襲ったという話だが、三国志は半分実話半分創作の大河ドラマだ。
史実通りに書いたら小説にならないから、三国志演義をはじめ多くの物語が生まれたのだろう。
張飛は決して武勇だけの猛将ではない。兵法で戦うこともあった。
曹操の大軍が押し寄せて来た時、張飛は橋にたった一人でいた。
背後にはどうやら伏兵がいる模様だ。実際には僅か二十騎くらいしかいなかったが、たった二十騎で守っているとは誰も思わない。
曹操は慎重になった。
ある意味、張飛だからこそ、いや、張飛にしかできなかった兵法でもある。もしも橋の上にたった一人でいたら襲われるが、何しろ張飛だ。橋は細いので、大勢で通れないから、どうしても1対1の戦闘になってしまう。
曹操は関羽が語っていた言葉を思い出した。曹操が関羽の武勇を褒めた時、関羽は自分よりも強い男がいると、張飛の名前を挙げたのだ。
ついに「引け」と合図を出し、曹操軍は退却した。
もっと凄い兵法がある。張飛は自分によく似た影武者を用意して敵将の厳顔を罠にはめた。
厳顔は、張飛は力で押すしか能のない男と見くびっていたから、まさか兵法を用いているとは夢にも思わなかった。
張飛は厳顔を捕らえ、降伏しなければ首をはねると恫喝するが、さっさと首をはねよと厳顔は自ら首を差し出す。
すると、張飛は厳顔の縄を解き、跪き、真の戦人を辱めたことを詫びる。厳顔は感服した。
張飛がこれほどの誠の武将ならば、劉備や関羽はどれほど素晴らしい武人か計り知れない。
厳顔が降ったことを知った敵軍の将兵たちは、厳顔が降伏したならと、鉾を下ろし、張飛軍を通す。
張飛の兵法により、血を一滴も流さずに次々と落城させていった。
劉備は、張飛が兵法で戦っていると知り、心配したが、孔明は平然と張飛の作戦を応援し、加勢した。
孔明は、張飛が兵法にも優れていることを見抜いていたのか。人の実力を見抜く孔明の観察眼は天才的だ。
張飛の最期が悲しい。関羽が死に、完全に冷静さを失った張飛は、反論する部下を殴り、恨みを買う。そして、張飛が寝ている間に首をかかれ、壮絶な戦いの人生の幕を閉じる。
ある意味、戦場で張飛を殺すことは誰にもできなかったともいえる。
呂布が死んでからは紛れもなく張飛が最強だった。張飛と1対1の戦闘で互角に渡り合えたのは、馬超くらいだろう。
ともかく、欠点はあるが、私は三国志の中で、関羽と並び、張飛が一番好きな武将だ。