私が中学生の時、TCR横浜銀蝿RSの大ファンになった。
嵐リーダーのエッセイ『散りぎわ死にぎわ』を読んで深く感動した。
この本の中に印象的な言葉があった。それは「レコードを出すのは簡単。でも売るのは難しい」と。
嵐リーダーも、音楽関係者が言ったこのセリフに感銘を受けたのだ。
これは音楽家に限らず、作家にもいえることだろう。
本を出すのは簡単。でも売るのは難しい。
もちろんCDを出すのも本を出すのも簡単ではない。大変なことだ。しかし、売るのはもっと、はるかに難しい。
横浜銀蝿は36回もオーディションに落ちている。それでも夢を諦めず、1に体力2に根性、テクがなくても5に礼儀で突き進み、夢を叶えた。
デビューしてから3大目標を掲げた。それはLP1位、シングル1位、武道館満タンだ。
まだ無名の頃にこの高過ぎる目標を掲げ、周囲の人から「まあね、目標というのはね。高いほうがいいからね」とホラ吹き扱い。
しかし、横浜銀蝿はデビューしてすぐにLP1位と武道館満タンを実現してしまった。まさに有言実行だ。
時代も力になった。80年代といえば、3年B組金八先生の第2シリーズで、有名な加藤優編。シリーズの中で最もインパクトが強かった。
実際の学校でも校内暴力全盛時代。ツッパリ君人形やなめ猫や竹の子族が流行った。
私もわざわざ原宿まで行って竹の子族を見て来た。
ドラマ「積木くずし」は45%を超える視聴率を叩き出し、大ヒットした。
もちろん時代の波に乗ったから売れたわけではない。横浜銀蝿の抜群のセンスの良さは、レコードのジャケットや著書を見ればわかる。
私は『散りぎわ死にぎわ』のほかにも『あ・ば・よ』や『完全燃焼』も買って読んだが、とにかくセンスが素晴らしい。
曲も歌詞も惹き込まれた。好きな曲はたくさんある。
「横須賀Baby」「おまえにピタッ!」「哀愁のワイディングロード」など、挙げ切れない。
銀蝿一家といえば「男の勲章」が大ヒットした嶋大輔さんがいる。銀蝿一家の中で一番成功したのは杉本哲太さんだろう。
杉本哲太さんが銀蝿一家出身というのは、あまり知られていないかもしれない。十代の頃はリーゼントで喧嘩上等。
喧嘩をしていて、嵐リーダーに止められ、そのままスカウトされたという型破りなスタートだった。
横浜銀蝿は僅か3年3ヵ月で解散したから、本当にあっという間だった。気まぐれな通り雨のようだった。
だから、今、4人が揃って復活したのは嬉しい。いろいろあったが、みんな60代の現役バリバリだ。
やはり目標は大きければ大きいほどいい。始めから目標が小さいと、何もできないまま人生が終わってしまう。