一人称と三人称については、いろいろとプロ・アマ問わず、書き手と読み手を問わず論争が展開されていて驚いたが、小説は「こう書くべきだ!」と力説したり、目くじらを立てるものではないと思っている。

 

司馬遼太郎先生は、突然読者に語りかけたりと、自由闊達な筆が冴える。

 

私は筒井康隆先生のように、独白部分は( )で表記するなど、読みやすい手法が好きだが、結論から言えば、どう書くかは全て作者が決めることだ。

 

 

小説は、一人称と三人称のどちらかを選び書くことが基本だが、一人称と三人称が混ざっている小説は珍しくない。

 

大事なことは、作者があえて混在させているなら問題ないが、無意識に、一人称で書き始めたはずが、気づいてみたら三人称になっていた、というのはあまり良くない。

 

面白ければ何でもアリが映画と小説だと思う。完璧に基本に忠実に書いても面白くなければ読む気はしない。

 

技法や形式にこだわり過ぎて、慎重になり過ぎて、肝心要のストーリーと登場人物の魅力が軽視されては意味がない。

 

小説は、ストーリーの面白さと登場人物の魅力とメッセージの深さが大事だと私は思っている。

 

胸中に秘めたるもので勝負する。小説は論文ではない。何を世に問うかだ。

 

 

一人称の利点は、読者も主人公の目線でストーリーを追えることだ。

 

私は北方謙三さんのハードボイルド小説を何冊も読んだ。心の乾いた主人公。独特の文体。これは実話ではないかと思わせるリアリティに酔った。

 

横道にそれず、メインストーリーを突き進むなら、一人称が合っていると思う。

 

 

一人称の弱点は、やはり主人公がいない場面を描けないことだ。

 

登場人物が多く、主人公以外の準主役が活躍するなら、三人称のほうが最適かもしれない。

 

もちろん、先ほど触れた一人称と三人称の混在を巧みに使えば、メインが一人称でも章の切り替わりに三人称にすることも可能だ。

 

一人称と三人称の混在は相当な力量が必要という意見もあるが、失敗を恐れず挑戦する意義はあると思う。

 

本当の失敗とは、失敗を恐れて冒険しないこととも言える。

 

朝ドラ「エール」でも関内音が、父の教えを何度も語っていた。「やらずに後悔するより、やって後悔したほうがいい」

 

 

ちなみに私の作品は、大半が三人称だ。一人称の作品も書いたことはあるが、三人称のほうが得意である。

 

得手不得手はあるかもしれない。

 

自分のストーリーは一人称と三人称のどちらが最適か。書く前に見極め、あとは思い切り楽しく、登場人物に成り切って書きたい。