昨日、11月29日(日)東京競馬場で第40回ジャパンカップが行われたが、クラシック3冠馬3頭が同じレースに出場するドリームカードだった。

 

史上最高の8冠馬であるアーモンドアイと、無敗の3冠馬であるコントレイルとデアリングタクトの3強が対決した。

 

90年代でいえば、メジロマックイーンとトウカイテイオーとミホノブルボンの3強が同じレースを走るようなもので、ファンにはたまらない。

 

競馬は筋書きのないドラマだから、蓋を開けてみないとどの馬が1着でゴールするかは誰にもわからない。

 

レースの結果は、アーモンドアイの完勝。2着はコントレイル、3着がデアリングタクトで見事に3強が上位を独占したが、ただただアーモンドアイの強さに度肝を抜かれたレースだった。

 

アーモンドアイはこれで前人未踏、もちろん史上初の9冠馬。G1を1勝するだけでも大変なのに、G1レース9勝とは素晴らしい。

 

このジャパンカップがラストランになるが、アーモンドアイの記録を超えるサラブレッドは、しばらく出ないだろう。

 

 

スポーツは筋書きのないドラマだから、感涙抑え難い興奮と感動で人々を酔わせることがある。

 

オグリキャップやトウカイテイオーの有馬記念でのラストランもそうだったが、キセキのドラマに酔いしれた。

 

では、小説は創作だから、筋書きのないドラマであるスポーツには敵わないか。そんなことはない。

 

わざとプロットをきっちり書き過ぎずに、作者も次の展開がどうなるかわからない状態で書くという手法もある。

 

大まかなあらすじは当然決めているが、肝心要のクライマックスやラストシーンも完璧に決めていない状態で書くと、筋書きのないドラマに近づけることができる。

 

ドラマの撮影もそういうことはある。

 

脚本に全部セリフを書き込み、役者はそのセリフを完璧に覚え、脚本通りに撮影する場合もある。

 

しかし、脚本にただ「口論」としか書いていないことがある。これは監督が役者のアドリブ力に期待しているのだ。

 

全部アドリブの口論だから、リアリティあふれるシーンになる。

 

最近でもドラマ『半沢直樹』のアドリブが話題になった。

 

大和田暁は、半沢直樹に対して「君はもう、おしまいです」というセリフで終わるはずだったが、大和田はいきなり「お・し・ま・い・DEATH!」と首を掻っ切るポーズ。

 

このアドリブが大受けして、ネットでも話題騒然となり、テレビでも何度もこのシーンが繰り返し流されて皆で笑った。

 

 

小説の登場人物はキャストだ。私はキャラクターはキャストだと思っている。登場人物は作者の操り人形ではない。

 

キャストと共に話し合いながら物語を創作していくのだ。

 

完成度の高い作品よりも、未完成の荒々しさが読者の心を動かすことがある。

 

筋書きが完璧に決まっていないと、何より作者自身がわくわくしながら書いているので、そのわくわくした新鮮な気持ちが文章にも表れるだろう。