自力でスーパーに買い物に行けない私にとってネット通販は便利で有難いが、注文した商品を運送業者から受け取るのは毎回一大イベントで疲れる。
配達指定時間の10分前になったら玄関に行って待機しなければならないのだ。
あらかじめここまで来ていないと応対に出られない。
玄関では横臥したりお尻ペタ座りをしたりしているが、腫瘍だらけの頭を腫瘍だらけの首で支えるのはしんどいので、本当はずっと横になっていたい。
しかし腰椎の具合が悪いときは横臥の状態から体を起こすのに時間がかかるので事前に座っておかないとスムーズに応対に出られない。
また、横臥で待機している最中は常に携帯電話の電波状態をチェックして不安定になったら即座に起き上がって玄関のドアに手を触れなければならない。
私は難聴でチャイムの音が聞こえないので宅配便のドライバーさんにはまずドアをノックしてもらい、応答がない場合は携帯電話に着信を入れてもらっているが、これはノックなら聞こえるということではなく、ノックなら手に伝わる振動で気づけるというからくりなのだ。
横臥での待機はノックで察知するチャンスを勝手に放棄する怠慢行為だが、如何せん体が痛いのでずっとドアに触れ続けることはできない。
しかしケータイの電波が不安定になるとノックで気づかなければ荷物を受け取りそびれてしまう。
実際玄関で待機していながら不在票が入ったことが過去に何度かあった。
そうなると再配達の手続きをして仕切り直しとなる。
オムツやティッシュなどの日用品を受けとるのに合計3時間要したり、指定時間が過ぎて待ちくたびれてから到着した食材が不味かったりりすると虚しさが込み上げてくる。
待機している最中に肉体的限界が訪れて「もういい。持ってこなくていい。営業所の人たちで食べてくれて構わないからもう配達に来ないでくれ。頼むから今すぐ私を布団で休ませてくれ」などと身勝手なことを考えたこともある。
オムツも食料品も私の生活に必要なものではあるが、その私の生活というものが自分にとって不要に思えてならない。
こんな不便な生活はもう要らないのだ。
宅配便の受け取りというこの一件だけを見ても、人生を続行させるのは本当に面倒くさい。