自分用 ※ウロコハ登場なし | 目からウロコのヨウム飼い

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初の鳥飼い、ヨウムとの生活

今日は犬/鳥にまったく無関係な話です。

前回冒頭で一瞬だけ触れた父のことを書き残しておこうかと。

 

ウロコハ登場なし&明るい話ではないので読み飛ばし推奨です。

 

……ウロコ写真を1枚だけ。

珍しく洗面台にいる写真です。

 

 

 

 

では。

……父が肝硬変のため84歳で他界しました。

 

肝機能の低下、肝性脳症、肝臓がんと立て続けに入院や手術をしたのが3年前。

その後は経過も良好で、薬の服用と定期検査が必要になった以外はとても元気にしていたのですが、昨年末に肝性脳症(食欲不振、だるさ、手の震え、嘔吐、認知症のような意識混濁、異常行動など)が再発、そこから2月までに数回発症しました。

 

初回に病院で点滴してもらった以外は、自宅で安静にしていると1~2日で回復したので、疲れや睡眠不足からくるものと父も母も解釈していたようですが、3月に入って発症した時は症状が酷く、救急車で搬送されてそのまま入院となりました。

 

入院して1週間後に担当医から呼ばれ、本人同席のもと、病名が肝硬変で、これまでA~C段階のBだったものが、今回Cの入り口付近まで進んでいると説明を受けました。

 

これまで父からは、がんの再発はなく(これはその通り)、肝機能低下は肝炎ぐらいのニュアンスでしか聞かされていなかったので、すでに進行した肝硬変だったということに驚きました。

 

癌と違って肝硬変には余命というものはなく、進み方は個人差も大きいが、病状が今より良くなることはなく、悪化速度をを薬や食事で出来るだけ緩やかにする以外に対処方法がない。まだ小さいが静脈瘤も出来ているので注意が必要等々の説明もかなりのインパクトでした。

 

結局その後1週間の入院で退院できたのですが、完全に復調しないまま自宅で2週間ほど過ごし、そこでまた肝性脳症が再発し病院へ戻ることになりました。

 

医者からは繰り返し肝性脳症が起きて入退院を繰り返すことになると言われていたので、本人も家族もすぐに帰宅できると疑わなかったのですが、症状が治まって退院日を決める段になると再発で延期になるということが何度か続き、とうとう自宅へ戻ることが叶わないまま、2回目の入院から40日ほど経った5月半ば、残念ながらこの世を去ってしまいました。

 

入院終盤にコロナの5類移行で面会制限がなくなったのがせめてもの救いでした。

 

 

自分より常に家族を優先する、寡黙で優しく我慢強い父でした。

 

 

脱サラして30年ほど飲食店を経営するも、バブル崩壊の余波と阪神淡路大震災の影響でやむなく廃業。会社員時代お世話になった方の紹介で、56歳から再びサラリーマン生活を始めることに。

 

雨の日も風の日も熱の日も自転車で片道30分かけて通勤し、60代でPC操作を覚え、初めは高齢で未経験のコネ入社に嫌味を言われていたのに、いつのまにか誰からも頼りにされるようになり、異例の81歳まで25年間も勤め上げ、最後は惜しまれながら退職。

 

自営していたこともあってか家計は全て自分で管理し、休みの日も朝早く起きて片付けや掃除、買い物まで骨惜しみしない。

 

無趣味で自分のためにお金を使うことはほぼなく、テレビでスポーツと洋画を観ることが好きで、ごくごく少額だけ賭ける競馬や公営くじも、儲かった時は気前よく家族のために使う。

 

人当たりが良く、愚痴や人の悪口は一切言わず、声を荒げて怒ることも皆無。

晩年は断酒していましたが、お酒、特にビールが大好きで、人を不快にしない明るく楽しい飲み方でした。

 

体調を崩す前から家族葬の早割りを申し込んでいたり、調子が悪かったであろう2回目入院までのあいだに無理して自転車で銀行まで行き、万一の時に足の悪い母が困らないよう当座の現金を引き出しておいた父。

 

昏睡状態になって病院から呼ばれ、家族が集まってから数日間の状態安定で、母や妹に心の準備と少しだけ休息の時間を与えてくれた父。

 

最期の姿は見せたくなかったのか、当直の看護師さんに呼ばれ病院まで20分の道を急ぐ家族が、ほんのちょっとだけ間に合わないタイミングで逝ってしまった父。

 

何かで大成したわけでもない、どこにでもいそうな善良でおとなしい父でしたが、一生かかっても追い付けない、強くて心優しい家族思いの、偉大な偉大な偉大な父でした。

 

 

もともと帰省は年に1~2回、耳が遠い父とは電話の機会も少なかったからか、もうこの世に存在しないのだという実感は薄く、亡くなった翌日に叔父から父の子供時代のエピソードを聞いてこらえ切れなくなった一瞬以外は涙も出てこないのですが、俗に言う「心にぽっかり穴が開いた」状態は未だ続いています。

 

日常生活では仕事もそれなりに忙しく、別事も入り込んでくるので、時間があっても心まで落ち着かせている余裕がなく、それはそれで精神的には良いのだと考えてみたり、でももうちょっとゆっくり悲しむ時間が欲しいなと思ってみたり。

 

ゆらゆらしながらも、卒なく日常生活を送っております。

 

 

……当初の想定以上に、だらだらと書いてしまいました。

おかしな文になっているかもしれませんが、今の心境を大事にしそのままにしておこうと思います。

 

 

もう間もなく四十九日になります。

あの世があるなら父は間違いなく極楽行きだと思いますが、そこでは自分のためにゆっくり時間を使ってほしいなと思います。

 

ありがとう、お父さん。