まいどです。
人生というのは人それぞれ、まったく違うというのは当たり前ですが、たとえばAさん、Bさんの人生、どっちがいいの、良かったの?って比べた場合、「やっぱりAさんだと思う」という意見もあり「いや、Bさんの方だ」って意見もありで、結局100対0になる事はないと思いますが。
先日、辛い話を聞いてしまいました。
まぁ詳細を書くことは出来ないのですが、とある方、すごくお世話になった方で、その人に対する義理人情を忘れたら自分は人間じゃないな、と思うほど今から約10年前ですかね、色々と世話をやいてくれた方が大怪我されて、不自由を強いられる体になってしまった、という事だったのです。
その方、もちろん私にだけそんな世話焼きなわけではもちろんなく、色々な方に均等に接しられた方です。その甲斐あってか、その方の人脈はそれは凄いものだと聞きます。一家の長男としての責任を果たすべく仕事で忙しい身を言い訳にせず、すでにご高齢の両親に色々と尽くされてきたお話もよく伺いました。そんな話を聞いても全く自慢ったらしく聞こえなかったのですよ。常にその方の周りには色々なジャンルの仲間が(趣味も色々お持ちですから)常に入れ替わり立ち替わり、取り巻いているのであります。
そんな方にこの仕打ちとは、どうなんでしょうか?この方に与えるべきだったのでしょうか?と心から思うのです。
私はその方に最初に会った時にはどんな言葉を掛ければいいのでしょうか?
できれば、その方がほっと出来るような、なんだか救われたような思いをしてもらえる言葉を掛けれればいいのですが、正直今の私にはそんな自信はありません。
私も一応は身体障害者という身ですが、その方とは比べ物にならないくらい、この先困難な生活が待っているかと、それを思うともちろん不憫に思ってしまいがちですが、そんな思いがその方と接したときに見破ってしまう方がよほど、その方は辛い思いをするかもしれませんね。
ごく普通に、今まで通りに接したいです。おそらくその方もそれを一番に望んでらっしゃるのだろうと。
「その人が乗り越えれない困難を与えることはない」って言葉も聞いたことがあります。
確かに、「その方なら笑って乗り越えれるのではないか、周囲もそれを後押しできるのではないか」(その『周囲』に自分も混ぜていただけるなら嬉しい限り)とも思えて仕方がないのも事実です。
「人生何が起こるか分からない」とか「五体満足であることを幸せに思え」とか「元気があれば何でも出来る!」なんて在り来たりの言葉を改めて言う必要は、まったくない、と。でも現実にこういう事は起こるわけだし、ホントに身近な方が遭っている、という事はしっかり受け止めなければ。
とりあえず、内なる思いを綴ってみました。では。
読んでいただいてありがとうございました。