諦めると聞くとなんだかネガティブな響き。
が、しかし、元々の意味は
「明らむ」そう
「明らかにする」
から来たらしい。
むかーーーし
金八先生のドラマをたまたまつけて
卒業式のシーンで、最後の講話を先生が語っていた。
ドラマなのに、泣いている生徒さんを見ると、不思議な気持ちになった。
毎日、毎週のようにクラスメイト役として演技しているうちに
いつの間にか、友情やらが芽生えてきたのかな、と感じるほど
臨場感がブラウン管のこちら側まで伝わって来たのだった。
ついついチャンネルはそのままになった。
そして先生は黒板に
「諦」の字を大きく書く。
どういう意味か、と生徒に聞く。
ネガティブな言葉が返ってくる。
うろ覚えであるが、金八先生も
諦めるは「明らむ」が語源で
そして、言偏(ごんべん)に帝(みかど)
と書くだろう。帝も物事を明らかにするとき、前にするときは
何かを諦めて前に進む。だから決してネガティブな意味ではない、
そんなことを言っていたと思う。
なぜ、こんなことを書くかというと
諦めることがあったからです・・・はい。笑