障害者(って言い方はまだ日本では使われているのか?

間違っていたら訂正してください。)教育を日々学ばせてもらっている。

 

自閉症の子が多いのだけれど

同僚で若いのだけれどとてもまじめで熱心な方がいらっしゃる。

 

私は自閉症の教育にとって

何が一番ベストなのかまだ発展途上なので

色々疑問もわくのだけれどそれが正解かどうか悩んでいる。

今の私の疑問を忘備録として記す。

いつか答え合わせが出来る日のために。

 

お勉強がイヤで床で泣き叫び続ける子に

「これをしないとこれはできない。」「休み時間なし!」と条件をつけて叱る若い先生がいる。

もちろん手は出さないし、大きな声での注意。

 

叱っている方はもちろんそれがその子にとってベストだと思って

言っているのだと感じるし熱意もあるのは分かる。

ついつい泣き叫ぶ子に

私が助け船や手を出そうとするものなら、ぴしゃりと怒られる。

「今はほっといてください。」と。

泣き叫ぶ子に自分でわからせようとしている手法らしい。

 

 

自由時間に私の手を握り一緒に遊ぼうと伝えてくる子なので

泣き叫ぶ中でも私に助けを求めるけれど

担当の先生がその子の教育のためと思っているので

敢えて目を合わさない。

ただ遠くから眺めながらぼんやり思う。

 

 

時間のルーティーンを守り、机に座らせる躾が目的なのか

お勉強をある一定のレベルまで伸ばすのが目的なのか・・・と。

 

 

前者だとしたらお勉強の課題をお勉強というよりも

もっと楽しいものにして

子供が自ら座ってそれをしたいと思えるような内容にするとか、

後者ならばカーペットやどこでもいいけれど、子供がリラックスできるような場所で

寝転んででも数やアルファベットを一定のレベルまで伸ばせばよいのでは、と。

ただの理想論なのかな。

二兎を追う者は一兎をも得ずにならないだろうか・・・と思ってしまうのだけれど。

 

 

 

これは

障害者教育に日の浅い私の意見なので

数年後の私が見たら

「甘いな、私。おばかさん。」と

思うかもしれない。

色々な意見があると思うので

色々聞かせてもらえるとありがたい。

 

 

という事で、下の絵は

毎日勉強になると泣き叫ぶ子と一緒に

今朝、朝一で机に座って

どこのスーパーマーケットが好きか、という話で盛り上がった。

ちなみにこの子供も私も言葉が上手にしゃべれない者同士。

 

私が書いたものにXをつけているのは

スーパーの色が違うということらしい。

で、書き直された。

そして、彼はテスコとセインズブリーのスーパーに行くということを

教えてくれた。(ただ言っていることは言葉にならないので

絵や色で表現してくれる。)

ということで、

セインズブリーはだいだい色で

テスコは赤と青を持ってきてくれて書き直してくれた。

いつも気にも留めないテスコの配色をきちんと覚えていた

この子に感動して褒めまくっていたら、

冷たい視線を若い先生から頂いた。笑

あれは、きっとコミュニケーションが取れている私への羨望だと

勝手に思っているのだが。(勘違い甚だしい四十路。)

 

あとJump Inn Trumpolineは

何処に行きたい?という話で盛り上がって(どちらも言語が苦手な者同士で通じ合うのです。)

トランポリンをクラスの中で真似していたら

リーダーの先生に子供が怒られ、暗に私も怒られました。

昔の職場でも型破りだったけれど

イギリスでも子供目線というか子供の心=精神年齢低いです。

 

勝手なこと書いていますが

今日もありがたい一日でした。