ごきげんよう!さわこです。
 
 
我々の祖先は、罪なくきよいものに造られたが、罪を犯す可能性がなかったのではない。
 
神は、人間を自由意志を持った道徳的行為者として創造された。
 
人類の父祖アダムとエバは、神の品性の知恵と慈悲、神の要求の正当性を理解し、完全な自由のもとに、服従か不服従かを決定することができた。
 
その自己決定をするために、彼らの忠誠が試されなくてはならなかった。
 
(以上人類のあけぼの第二章より引用)
 
自分の文章で理解しつつ・・・
神はルシファをサタンへと堕落させた致命的な欲望を知っておられた。
その欲望とは放縦である。
 
再び引用
 
すなわち、放縦に対する欲望に一つの制限が置かれた。
園の中央にある命の木の近くに善悪を知る木があって、
我々の先祖の服従と信仰と愛を試験するものとなっていた。
 
彼らは、他のどの木の実も自由に食べることを許されていたが、
これは食べることを禁じられていて、その罰は死であった。
彼らは、また、サタンの誘惑に遭わなければならなかった。
 
しかし、もしその試練に耐えるならば、
彼らは、ついにサタンの圏外に置かれ、
神の永遠の恵みにあずかることができるのであった。