ごきげんよう!さわこです
今朝、届いた古屋さんのメッセージ、とても共感しました。
この世界は私達の試練、悩み、悲しみの舞台です。
年を重ねれば重ねる程に多くの失敗や挫折を味わいます。
もし神様を知らなければ、悲しみは悲しみとして残り、
それは苦々しさとなっていく事でしょう…
しかし、その悲しみを神様の元に持っていくのなら、
神様は豊かな恵みによって、その悲しみを良いものとして
作りかえ万事を益と変えて下さり゙、ご自分の慈しみを現して下さいます。
喜びの時だけでなく、
たとえ人の目には感謝する事が難しい状況に置かれても、
神様にあって感謝する事が出来るのはクリスチャンの特権ではないでしょうか…
どんな事も全て神様のみ手の内に起こっていると受け止め、
むしろ困難を通して私達が神様をより深く知って
幸いな者になれるようにと神様が許されておられる事でもあるのです。
神様はむやみに苦しみを許しておられるのではなく、そこには御心があるのです。
当たり前だと感じる日々に、生かされている事への感謝は生まれません。
むしろ苦しみの中にあって、今も生かされている事の恵みに気付かされるのではないでしょうか…
たとえその意味を知る事が出来なくても、信仰の目を持って見るなら、
困難の先に神様が備えて下さっている祝福を見る事が出来ます。
憐れみ深い神様の御手の内に私達は置かれています。
呼び求める者の近くにいて下さいます。
【耐えがたく思われる試練も、信仰をもって受けるならば、祝福である事がわかる。
この世の喜びを砕く残酷な一撃も、私達の目を天に向ける手段となる。
悲しみが彼らを主にある慰めに導かなかったならば、
イエスを知らないでしまう人がどんなに多い事であろう。】祝福の山P1127
古屋良子📖
マラナ・タ
「祝福の山」より続きを・・・
「生涯の試練は、私たちの品性から不純物で粗野な者を取り去る神の職人である。