ごきげんよう!さわこです。
 
今朝、信仰の友から届いたメッセージをシェアします。
 
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「人類のあけぼの・セツとエノクの時代」(エレン・G・ホワイト著)より抜粋
 
われわれの祖先は、堕落する以前からエデンで制定された安息日を守っていた。
そして、楽園からの追放後も安息日を守り続けていた。
 
安息日は、神に忠誠を保っていたすべてのアダムの子孫によってあがめられていた。
しかし、カインとその子孫は、主の明白な命令にもかかわらず、
自分勝手なときに働いたり休んだりして、神が休まれた日を重んじなかった。
 
カインは、、エデンの回復の約束をなげうち、罪ののろいのもとにある地上で、
財産や快楽を求めるために主の前を去っていった。
 
こうして、彼は、この世の神を礼拝する多くの人々の先頭に立ったのである。
彼の子孫は、世俗的、物質的発展の面だけでは、すぐれた力量をあらわした。
しかし、彼らは神のことには無関心で、人類に対する神の計画にはそむいていた。
 
アベルは羊飼いの生活を送って、天幕や仮り住まいに住んでいた。
そして、セツの子孫も、自分たちを、「地上では旅人であり寄留者」であるとみなして、
「もっと良い、天にあるふるさと」を求めながら、同じ道を歩んだ(ヘブル11:13、16)
 
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以下、メッセージ
 
自分の欲やこの世の喜び快楽を優先して生きるか、
神様が私たちに求めることを最優先に生きるのか、
私たちはこの二種類のどちらかに、自分の選びで、
最終的には属することになる。
 
「私は自由で何にも縛られない、色々と楽しいこともするし、
イエス様のことも大好きで信じる」と考える人が多くいるが、
これはどちらの美味しいところも欲しいという、
生ぬるい発想で、結局は自分の欲を優先していることと同じだ。
 
神様は私たちに禁欲主義者になれと言っているわけではない。
 
ただ神様を第一にすれば、その他全てのものは兼ね備えられるので、
お金のことも、住むところも、人間関係のことも、心配する必要は無い、と言っているのだ。
 
マタイ6:33「何よりもまず、神の国と神の義を求めなさい。そうすれば、これらのものはみな加えて与えられる」
 
他の者たちがこの世の煩いでやきもきして、争ったり、攻撃したり、
憎しみあったりしている最中で、神様のおおらかな平安と楽観に包まれ、
豊かな生活はないとしても、精神的に裕福なのだ。
 
お金で救いは買えない。
無料のイエス様の贖いで、増し加わる永遠の幸せが得られる。
 
この差よ。どちらが得かは、小学1年生でもわかる。
 
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マラナ・タ
「二種類のどちらかに、自分の選びで、最終的には属することになる」
とても分かりやすいです。