ごきげんよう!さわこです 
前回のある女性の証のその2です。
 
この証しもシェアすることを快く承諾してくださいました。
感謝です。ありがとうございます。
 

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今日のお証は、「歩く」ということについてです。

 

私は、去年の春4月の時点で、
ほとんど歩くことができませんでした。
10分くらい歩くともう、限界でした。
たくさんのリハビリをしましたが、
20年間、そんな感じで仕事をして生活してきました。
 
ですからウインドーショッピングも出来ないし、
仙台教会に始めていった時に、
礼拝堂が階段を登って2階にあるという事実に、
あ~困った。。。と思いました。
 
理不尽な事故により、
ろくに歩けない状態で5年6年を過ごし、
その後は、労わりつつ仕事をしていましたが、
「右足は60歳にはもう歩けなくなる」とドクターに言われ、
また、左足は、普通に歩けるようになるかはわからない。
難しいかも。
はや足は厳禁、重い荷物は絶対にもってはいけないと、
言われました。
 
膝を曲げると痛みがあり、ひざの中でガシャガシャガシャと大きな音がします。
壊れた半月板やいろんな組織の断片が音を奏でるのだそうです。
 
ですから、旅行なんて夢のまた夢。
20年前から、地下鉄、バス、電車、新幹線、乗れていません。
必要ないのでSuicaを持ったことさえなく、全て車での移動です。
もう、旅行は無理なのだな~と思っていた時、こんな話を聞きました。
 
チベットの山にいるある男性が
「日本の方よ、こんな山奥にきてまで、何を求めて世界中を旅しているのだ?」
「はい、感動を求めて世界中を旅しております」
「日本の方よ、感動を求めて世界中を旅するのではなく、感動を与える人になりなさい」
 
私は、その言葉に心が震えました。
そうなのだ、歩けなくても感動を与える人になら、
このような私にもなれるかも、と思いめぐらしました。
 
「神様の御業を伝える事によって、人々に感動を与える人になる」
これは、やっとたどり着いた私の一生の課題です。
 
そんな中、去年のお花見のころ、
「教会の近くの公園に一人で行って歩いてみよう!」と一大決心をし、
祈って行こうとしたところ、金城牧師先生ご夫婦が、
お子さんを連れて一緒に、伴走をするように歩いてくださったのです。
 
その1回が、本当に嬉しかった。
私は、よろよろでしたが、なんとか公園内を歩けました。
 
洗礼を受けたばかりのわたしは、毎週、夜の祈祷会で、
ミニストーリー・オブ・ヒーリングを読み、健康知識を学びながら、
神様と向き合い、祈っては様々な運動をし、全人的回復を目指す。
 
すると先月12月には、なんと、日帰り旅行に行けたのです。
地下鉄も新幹線も20年ぶり、、、笑ってしまいます。
何をするにも浦島花子さんでした。
 
ドクターが「この足は歩けなくなる」と宣言された年齢を過ぎても、
歩けなくなるどころか、今は30分以上テンポよく歩けて、
調子が良い時にはゆっくりですが
1時間近くも歩けるように癒されて、
足を曲げてもガチャガチャガチャという音は聞こえなくなる回復ぶりです。
一般の人から見れば劣っていても、私にとっては本当に奇跡、神様に感謝です。
 
「人にはできない事も、神にはできる」ルカ18:27
 
SDAにきて、「神様は愛である」と実感し、神様に期待して、
祈って、あきらめないで歩くことに挑戦できました。
 
また、祈りながら伴走して応援してくださった
優しい牧師先生ご夫婦のおかげでもあります。
 
今のところ、遠出したのは一度だけですが、
これからは、もっと気軽にそれができそうです。
この1月は、2回目の日帰りの旅に挑戦し自信をつけます。
歩けることは自由ですね。希望です。
本当に奇跡です。嬉しいです。
 
このように今、あらためて神様が治してくださっているこの足を、
神様の御用のために、救いのために、用いて頂きたいと願っております。
 
ローマ8章28節
「神は、神を愛する者たち、
すなわち、ご計画に従って召された者たちと共に働いて、
万事を益となるようにしてくださる事を、私たちは知っている。」
 
              以上
 
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私の教会は、全世界に、また全国各地にあります。
都会の教会の一部は大きいですが、後は全国各地に
中規模、小規模の教会や集会所、聖書研究会が点在しています。
 
住んでいる場所によって、交通の便不便がありますが、
自由に使える自家用車を持っているならば、
今の時代、まあ、たいていは自力で教会に出席できます。
 
私は、自転車で30分足らず、
荷物がなければWalkingを兼ねて1時間。
体が動くならば、便利な距離です。
 
マラナ・タ
SDAとは、セブンスデー・アドベンチストキリスト教会の略です。
創造週の第七日目の安息日を礼拝日として守り、
イエス・キリストの再臨を信じて待ち望むという
意味を持ったプロテスタントの一派の教会です。
 
プロレスタントとは「聖書のみ」ですが、
プロテスタントの教会でも、礼拝日を聖書の記述通りに
第七日目の安息日に(土曜日に当たる)礼拝を
守っている教会はないのではないでしょうか?