ごきげんよう!さわこです

 

 

心がふるえたある女性の証です。
シェアすることを許可して頂きました。

 

 

今日は、私が初めて、
神様からの不思議な助けを頂いた時の話を致します。
生まれた時から実家はさんざんでした。
私は、実は被虐者です。
 
一緒に住んでいた祖父は、恐ろしいアルコール依存症でした。
父も同様に、いつも暴力、暴言、アルコール依存症、飲酒運転常習犯、
母は、鬱的な人であり、また働くのに夢中でもあり、
子供に愛情を注げない、甘える事をゆるせない人・・
ですからいつも本当に苦しくて悲しい身の置き所のない毎日でした。
家の中は争いが絶えず毎日が地獄でした。
今でいえば、まぎれもなく虐待児です。
 
私はいつも空を見上げては「神様ってどこにいるの?」と語り掛けていました。
3年生で体調を崩しましたが、絶望の中でも、
勉強をよく頑張る事で、先生に愛情をもらうようになっていきました。
しかしそれは、言ってみれば条件付きの愛ですから、
6年生になった時には、生きる虚しさによる、強い危機を感じていました。
 
 そんなある日の下校途中、ひとけのない田舎道で、
急に左のわき道から5人の年下の子供たちが出てきて、私を取り囲みました。
 
とっさに「悪魔だ!」と心の中で叫びました。
これまで「悪魔」などという言葉は使ったこともなかったので、
その言葉が思い浮かんだ事に、自分が驚きました。
 
「やれ!」と一人が合図したかと思うと、
2人が私の両腕を抑え、
もう二人は教科書一式が入った布製の手提げ袋を
私から奪い、10mくらい先の川まで走りました。
 
あっという間の出来事でした。
 
そして、こともあろうか、
布製の手提げ袋の底を両手で持ち、
川の上で逆さまにしたのです!
思わず、「助けて!」と心の中で叫びました。
 
すると、白い布のようなものが
上から降りてきて私の周りをぐるりと囲みました。
 
目に見えるのはただ真っ白の空間。
そして今度は、その白い布は上に引き上げられ、
そこに見えたのは、
全ての時間が止まっていて誰も身動きしていない光景だったのです!
川の上で、手提げ袋が逆さま状態なのに、
教科書は川に落ちていない!
 
私はすぐに両手でそれを救うように取りあげ、抱きしめました。
そのとたんに時間がまた動きだしたのです。
 
5人は、震えながら「お前は何なんだ?!お前は何なんだ?!!」と私を見て、
震えて、腰を抜かしてへたりこみ「逃げろ!」と一目散に逃げていきました。
 
大いなるものからの助け、すごく衝撃的な出来事でした。
 
2年前、洗礼の学びの時に牧師先生に話しました時に、
「それは天使だったね」と言われました。
 
何十年も時がたち、やっと天使の存在にたどり着き、納得しました。
 
詩編91:11
「主があなたのために天使たちに命じて、あなたの歩むべきすべての道で、
 あなたを守らせられる。」
 
 
被虐者は、たとえ、親の愛情をもらえなくとも、
誰にいわれるでもなく自然に神を呼び求め、
神様と最も近い存在としてそこにいるのだと思います。
 
虐待によって「自我がつぶされている」らしいので、
神様とつながる事が、容易にできる、これも恵みです。
 
ヨハネ9章で、イエス様は、「生まれつき盲人なのは、神のみ業が現れるため」
とおっしゃいました。
 
生まれたところが、たとえ地獄のようなところであったとしても、
それは自分の罪のせいではなく、「ただ、神のみ業が現れるため」
 
そのために生まれ、生かされている。
だから、悲観することも、恥ずかしがることもないし、
また誰もが、自分を誇る事もできないのだな、と思うのです。
 
すっかり主に癒されて、
老いた両親をかわいいとさえ思えるようにしてくださった愛の神様に、
心から感謝し、賛美いたします。
 
「すべて、わが名をもって、となえられる者を来させよ。
わたしは彼らをわが栄光のために創造し、これを造りこれを仕立てた。」
イザヤ43:7
                       以上

 

 

マラナ・タ
シェアを快く許してくださり本当にありがとうございました。