ごきげんよう!さわこです。
士師記について書かれた理由を振り返っています。
 

 

この本より以下引用

 
ヨシュアの死後、指導者を失ったイスラエル民族は、紀元前1200年頃から約200年間にわたって、内部ではバアルによる異教礼拝、外部では周辺諸部族との軍事的衝突を抱えて不安定な暗黒時代を迎えた。
そんな時に現れたのが士師たちであった。
士師とは「さばきつかさ」と呼ぶ地方の指導者で、しばしばイスラエルの危機を救った。
 
この過程でイスラエル民族を最も悩ませる強力な民族がペリシテ人である。
 
ペリシテ人は紀元前12世紀前半に地中海のクレタ島から渡来し、優秀な鉄兵器を持ってパレスチナ中央部に勢力を持つようになった。
 
後に、カナン全土をパレスチナと呼ぶようになったのは、「ペリシテ人の地」の意味に由来する。
ペリシテ人との苦戦によって、イスラエルは軍事的な危機に直面していた。
 
このような中で人々は強力な統一指導者を求めるようになった。
そこで最後の士師であり、最初の預言者とも言われる宗教的指導者サムエルが現れた。
 
サムエルは、ペリシテ人の重圧からの解放のために、人々の要望を受け入れて、イスラエルに王制を取り入れた。
イスラエルの約430年間にわたる王国時代の始まりである。
 
サムエルは、ベニヤミン部族出身の勇敢な若者として、アンモン人との戦いで活躍したサウルを初代の王として任命した。
紀元前1020年頃のことである。
 
マラナ・タ
パレスチナ問題の根っこはここから始まるようですね。
この段階では、イシマエルも生まれていませんから、アラブ民族も登場していませんね。