ごきげんよう!さわこです

 

 

 
「キリスト教伝道史」
ザビエルと日本より144〜146ページ

 

 

日本はマルコ・ポーロの想像的な旅行記で、すでに西欧に知られていたが、彼自身は日本に来たことはなかった。
 
日本との最初の接触は1542年ポルトガルの船員が暴風雨のため航路を外れ、漂着したことが始まりだった。
 
ヤジローという男が日本で殺人の罪を犯し、刑を逃れるためにゴアに逃げていた。
1548年ザビエルはそこでヤジローに出会い、日本のことを聞く。
 
「私は彼に、彼と共に日本に行ったら、日本人はクリスチャンになるだろうかと質問した。彼はこう答えた。『彼らは初めに多くの質問をし、あなた方がそれにどう答えるか、どのくらい知っているかを見るでしょう。とりわけあなたが言っていること、信じていることとがあなたの生活と一致しているかどうかを見たいと思うでしょう。あなたがこの二つを行うなら、すなわちあなたが彼らの質問に満足するように答え、あなたの行動に何の咎も見出せないように振る舞うなら、半年後には王も貴族も分別ある人もみな、クリスチャンになるでしょう。日本人は理性的な国民ですから』」
 
この優れた国民に福音を、宣べ伝えたいとザビエルの心が燃えたのも不思議ではない。
 
ヤジローは折れた葦であった。ヤジローは自分の国のことをほとんど知らなかった。彼はあまり教育のない男だった。
ヤジローのキリスト教用語の日本語訳は、宣教師たちを誤らせ、彼らはあとで痛く後悔することになる。
彼の人格も賞賛に程遠かった。
 
彼らはだんだんとヤジローの翻訳の不完全さに気がつくようになった。
 
キリスト教の思想を表すのに、ポルトガルの用語を日本語に置き換えることの困難さに気がついた。
しかし、日本人に対する友情と理解は深まっていった。
 
1549年11月5日付のザビエルの手紙にはこう記されている。
 
「私たちが今までに会った民族の中で日本人は最良の民族である。今後も日本人に匹敵するような民族に会うことはないだろうと思う。彼らは礼儀正しく寛大であり、悪意がない。彼らの名誉心は驚くほどである。何より名誉を重んじる。彼らは善意の人々で社交的で知識欲が旺盛である。彼らは神のことを聞いて理解することを好む。彼らの中に罪や悪があるとしても、彼らのしていることは悪いことであると理性を持って説けば、彼らは理性によって納得する」
 
日本人と接するうちにキリスト教の伝道方法に対するザビエルの考え方が変わった。

 

 

ここまで読んで、私の感想です。

何をもってヤジローは日本のことをほとんど知らなかった、と著者は書いているのだろうか?

 

ヤジローは日本人の特徴を言い表しているではないか。なぜなら、ザビエル自身がローマに書き送った手紙はヤジローから聞いた言葉とほぼ同じではないか。

 

ザビエルたちが、世界を伝道するにあたって、やって来た方法が通用しないために、ヤジローは日本のことをほとんど知らなかった、と言っているのであるだけではないのか?

 

ヤジローは政治の中枢にいるのでもなければ、文化人でもない。

ヤジローの身近な人たちを見て感じたことを言っているだけなのだ。

 

ザビエルは、簡単に宣教できると安易な憶測で期待感に燃えていたに過ぎないのではなかったのか。

 

「あなたがこの二つのことを行うなら、すなわちあなたが彼らの質問を満足するように答え、あなたの行動に何の咎も見出せないようでに振る舞うなら・・・日本人は理性的な国民ですから」

 

ヤジローは日本人の気質をよく見極めています。

しかも、条件付きです。

あなた方自身が、キリスト教の本質を正確に掴んでおり、キリストによって品性が変えられており、キリストの香りを放つような信仰者であるならば。

との条件です。

 

後にザビエルは日本には優秀な人材を寄越すようにとローマに書き送っています。

 

ヤジローのこの進言は、いつの時代にも通用する。

伝道・宣教しようとするならば、その人のうちにキリスト様が内住していることが前提となるのではないだろうか。

 

戦国時代,

戦争に明け暮れ、国家統一を何より優先しないといけない日本事情。

しかも秀吉は海外における植民地政策についても知っていた。

 

南蛮貿易のプラス面だけに飛びついて、ようやくまとまろうとしている日本に、植民地の足掛かりとなることは避けなくてはならない。

徳川政権下に鎖国という政策をとったことも、日本国家の安寧のためであったと思います。

 

マラナ・タ

この時代に蒔かれ種は無駄にはなってはおりませんが、ほんとうに幾多の殉教者を出してしまいました。