ごきげんよう!さわこです。

 

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自我はサタンの足場です。

自己欺瞞、自己義、高慢、怠惰、貪欲、不敬、不信仰、人を裁く心、等々。

それらに気づかせてくださいと祈ります。

 

詩編139:23、24を心から祈ることが神様のみ心ですね。

 

新共同訳

「主よ、わたしを究め、わたしの心を知ってください。

わたしを試し、悩みを知ってください。

ごらんください。私の内に迷いの道があるかどうかを。

どうか、わたしをとこしえの道に導いてください。」

 

口語訳

神よ、どうか、わたしを探って、わが心を知り、わたしを試みて、わがもろもろの思いを知ってください。

わたしをとこしえの道に導いてください。

 

神様は私達が気付く前に全てを御存知で、十字架であがなって下さっています。

でも、許されているからと、自分の中の罪をそのままにしていたら、この世でも健全な歩みはできませんし(神様の視点から)、み国へ入れて頂く事はできません。

サタンは、私達の霊的な視力を弱くして、正しい判断をできないようにします。

聖書の内容、み言葉を良く知っていたイスラエルの人々はイエス様をサタン視して殺したのです

 

このようなメッセージを頂きました。

繰り返し読み、とても感謝いたしました。

そして、応答の思いがあふれてきました。

 

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「許されているからと、自分の罪をそのままにしていたら」

ここ、落とし穴ですね。

 

自分の罪を嘆いたら、悔改めたような気分になって、自分の罪をそのままにしていることに気がつかない。

 

また、傷つけた人の前で、私は罪人だと嘆くことで、自己防衛していることに気がつかない。

相手に対して本気で詫びているのだろうか?

自己愛が優っているのではないだろうか?

 

巧妙なサタンの策略が見えて来ました。

 

本物の悔改める心を激しく求めて、詩編139:23.24 で、我が胸を打ち叩きながら祈らなくては、イエス様を十字架につけた人々と変わりはないのですね。

読み返すたびに、幾つもの事を気づかせて頂きました。

 

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本当の悔い改めは聖霊様によらなければできませんね。

口先だけの罪の告白は神様に対して冒涜ではないかと思います。

 

 

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マラナ・タ

 

「自我はサタンの足場です!」

この一文に衝撃を受けました。

クリスチャンであることを反省するという恵みにあずかりました。

二人デボーションとなりました。