ごきげんよう!さわこです

この朝顔は、マルバアサガオというらしい。
11月の寒い朝、けなげに咲いている。
「最も小さい者にしたのは、私にしたのと同じだ」
と主は言われました。
私たち一人一人、主に恩返しをすることができます。
主はそれを大変喜ばれます。
と、安息日学校聖書研究ガイドの2023.11.17に書いてありました。

 

 

 
主に恩返しする、この言葉から思うことは、主の祈りです。
「我らに負い目ある者を、我らが赦すごとく、我らの負い目をもをも赦したまえ」
私は文語訳で昔から祈られる訳でお祈りしていますので、「罪」ではなく「負い目」です。
 
多分、原語(新約聖書だからギリシャ語?)には、「罪」「負い目」双方の意味があるのですよね?
 
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神さまに、キリストの贖いの故に、
本来なら赦されることのない
「罪」を赦されたので、
罪人は、有り難さのあまり、
その赦しを「負い目」と感じてしまう。
 
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多く赦された者としての、
多く愛された者としての
自覚が溢れて来る。
 
その神からの愛の潮流が、
神を裏切り、神から離れたために
失った愛を呼び起こす。
 
自分の罪の自覚を
呼び起こされた者たちは、
神から赦されたという有難さは
感謝として湧き上がる。
 
その神からの愛により、
他者を赦すようにさせられて行く。
人間のわざではなく、
神の恵みによって。
 
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これって「信仰による義」ですよね。
 
つまり、神様への「恩返し」なのです。
 
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マラナ・タ
私たちセブンスデー・アドベンチストキリスト教会は、
「安息日学校聖書研究ガイド」という
毎日の聖書の学習ための教科書があります。
この教科書は世界中、それぞれの国の言語に訳されて、
毎日、同じページを勉強しているのです。
このテキストから触発されて、
個人的なデボーションにあずかることが起こります。
今朝のデボーションです。
何という幸いなことでしょう!