ごきげんよう!さわこです
 
古屋良子さんのメッセージをシェアします。
私は古屋さんには直接お目にかかったことはありませんが、
信仰の友が送ってくださいます。
 
   まだ、オシロイバナが咲いています。
   仲良く並んで、咲いていました。
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世間の多くの人は自分を誇り゙、
自分の力を過信し、
神様を認めようとしません。
この世は少しでも良い者、優秀な者、
優れた者を選んで用いようとします。
 
しかし神様はこの世の愚かな者、
弱い者、取るに足らないと
見下されている者をあえて
選んで用いて下さるお方です。
 
神様はこのような弱い存在を通してご
自分の絶待なる力を現そうとされます。
 
既に力ある者が成し遂げれば、
それはその人の誉れになってしまいます。
 
しかし力の足りない者が神様に用いられる時、
神様がその人の中で働かれている事が明らかになります。
 
ですから、神様が用いて下さるのであれば、
むしろ自分が弱い者である事を喜ぶべきなのかもしれません。
 
神様は様々な困難や試練を通して
私達の自分に頼る思いを砕かれ、
私達の無力さに気づかせようとなさいます。
 
私達が自分を無にして空っぽになった時、
初めて神様からの力を受ける事が出来るのです。
 
自分の力を持っている限り、神様は力を発揮なさいません。
 
年齢を重ねる中で、出来ない事が増えていきます…
その中で「あなたの力なくしては何も出来ません」
と言うことしか出来なくなります。
 
しかしこの姿が神様の求めておられる事だと思います。
 
弱い者である事をむしろ喜んで誇りとしたいと思います。
何故なら神様は弱さの中でこそ力を発揮して下さるからです。
その中で神様の御業をたくさん体験していきたいと思います。
 
  芙蓉もまだ咲いています。
  夏が近づくと咲き始め、
  夏が終わっても咲き続けて秋をもてなしています。
 
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コリント第二 12章9節、10節
すると主は「わたしの恵みはあなたに十分である。力は弱さの中でこそ十分に発揮されるのだ」
と言われました。
だから、キリストの力がわたしの内に宿るように、むしろ大いに喜んで自分の弱さを誇りましょう。
それゆえ、わたしは弱さ、侮辱、窮乏、迫害、そして行き詰まりの状態にあっても、キリストのために満足しています。
なぜなら、わたしが弱い時にこそ強いからです。
 
マラナ・タ
(主よ、来てください)コリント第一16章22節下句
 
「誇る必要があるなら、わたしの弱さに関わる事柄を誇りましょう」
      コリント第二1章30節