ごきげんよう!さわこです

 

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自分の肉が罪深いのを見て、

落胆しないようにしよう。

 

罪深さ分かるのは、

神の聖霊の光とキリストの心の

洞察力によるのであり

肉の罪深さが見えれば見えるほど、

それは聖霊の力が強いということだ。

これは確実である。

 

だから非常な罪深さが自分にある時には、

主に感謝しよう。

 

そこまで罪深さが見えるほど、

聖霊を持っているということなのだから。

 

そして罪深さが満ちるところには、

恵みもますます満ち溢れる。

 

(無敵の信仰 191.192ページ)

 

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ローマ5:20

「・・・罪が増したところには、恵みはなおいっそう満ち溢れました」

 

自分も罪深さが分かった時、

心が裂けるような痛みを感じます。

その感情を「落胆する」とも言い表せるかと思いました。

 

しかし、その時に、

すぐにイエスに目を向けるなら、

イエスを見上げるなら、

「この罪人を憐れんでください」と

そして、徴税人の祈りをするなら、

 

「ところが、徴税人は遠くに立って、目を天に上げようともせず、胸を打ちながら言った。

『神様、罪びとのわたしを憐れんでください』」ルカ18:13

 

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確実にその人にイエスの手は差し伸べられる。

落胆した人の心に、イエスは触れてくださる。

それを、落胆しないようにしようと、

この本の著書は言いたいのだと思います。

落胆の中でも見ることができるイエスの眼差しを思うと感謝の涙が出ます。

 

マナラ・タ

イエスのまなざしの憐れみ深さを知っているから落胆しない。