ごきげんよう! さわこです

 

 
恵みと平安は神から来る。
罪は悪魔から来る。
恵みの支配は神の支配であり、
罪の支配は悪魔の支配である。
単純ことだ。
それなのに、難しくなる理由は、多くの人がサタンの力で神に仕えようとするからだ。
(言い換えるならば自力で肉の力で)

 

 

「木が良ければその実も良い。木が悪ければその実も悪い」
というイエス様はおっしゃっている通りなのだ。
 
その木自体が根から枝まで良いものにならなければない。
 
「あなた方は新しく生まれなければない」
とイエス様のお言葉通りなのだ。

 

 

人を新しく造り変える生ける神イエス・キリストの力以外のものによって、神に仕えようなどと考えてはいけない。
 

 

 

恵みである神の力によるならば、
神に従うことは確かに「新しいいのち」となる。
 
そして確かに
キリストのくびきは負いやすく、彼の荷は軽い
ものであることが分かるになる。
 

 

 

 
キリストに従うことが確かに
「言葉に尽くせない輝きに満ちた喜び」(1ペテロ1:8)となるのだ。
 
「無敵の信仰」180-181ページから、今朝のデボーション
 

 

 

あかし(この証しは、何回も書き続けている。しゃべり続けている)

キリスト・イエスが「預言の声・聖書通信講座」を1人で学んでいる時に、「聖書の御言葉」によって、私を包み(その柔らかな温かく明るい感触は今でも忘れられない)私は生ける神キリストの臨在を体験しました。
 
世界のキリスト教国家・キリスト教会・キリスト者たちの実態を世界史の教科書や世界のニュースから見聞きして、中学・高校生だった私はキリスト教嫌いになっていました。
そして、そのまんま大人になりました。
 
時は20年経過しました。
しかし、神様は天から見回して私をずーっと見ていてくださいました。
そして不思議な方法で、セブンスデー・アドベンチストキリスト教会の「預言の声・聖書通信講座」(山形俊夫著)を学ぶようにし向けられました。
 
キリスト教に反発していましたから、教会に行くことも、クリスチャンの友人もいませんでした。
 
御言葉のキリストイエスご自身が私に会いに来られて、私の誤解を解いてくださいました。
ああ、これが、聖霊の神様のお働きなんだ!
と通信講座を学んだ私は理解できました。
 
「創造主である父なる神」の存在は当たり前に知っておりましたけど。
 
いわゆる神道➕仏教🟰日本教の環境下で育った生粋の日本人だと、進化論を学んでいても、私みたいに考えるのが普通じゃないのかしらね。 
どうかしら?

 

 

マラナ・タ
三位一体の神という表現は、真実の神様をよく表しています。
人によらず御言葉のキリスト・イエスによって体験した私です。
それは32年が経過してなお変わらない。