ごきげんよう! さわこです。
信仰の友が送ってくださった古屋良子さんのメッセージをまたまた紹介します。
友には了解すみです。喜んでくださいました。



耐えきれない圧迫、生きる望みさえ失うような苦難にあっても、それらを何故一時の軽い艱難と言えるのでしょうか…
しかも永遠の重い栄光をもたらしてくれるとさえ言っています。




彼は将来の永遠の栄光と今の艱難を秤にかけているからです。パウロが受けたこれだけの艱難が上に上がってしまう程に将来の栄光は重いのです。

『栄光』という言葉の元々の意味は「重さ」です。




つまり、将来の希望があまりにも測り知れないので、艱難の中にあっても勇気を失わないでいる事が出来るのです。

私達を艱難から引きあげてくれるものはこの測り知れない重い永遠の栄光なのです。


キリストのもたらすのは復活であり、永遠の命なのです。
キリストの復活は十字架の苦難が終わり、過ぎ去るものである事を明らかにする出来事でした。同様にこの世の苦難も十字架と共に過ぎ去る一時的なものだとパウロは言っています。



艱難を信仰の目で見る事が出来ないと「何故神様はこんな苦難を負わせるのだろうか…」と呟いてしまいます。サタンの策略は意気消沈した者に対して最も効果を現します。




信仰を持つという事は、この世の労苦や試練、災いを取り去るという保証ではありません。
信仰は、いかなる状況にあっても生かされていく為の原動力となります。




信仰によって生きるとは、人生が祝福される為の手段とするのではなく、その人の人生を祝福されるという神様の約束に対する信頼でもあります。

人との関係を深めるのが信頼であるならば、神様との関係を深めるのは信仰です。



天にある希望を信仰によって握り締め、目の前にある様々な困難を乗り越えていきたいと思います。

     古屋良子

マラナ・タ
まことに、まことに、アーメン