ごきげんよう!さわこです
主なる神を心から愛しており、
主にある謙遜によってキリストを我が主・我が神と受け入れていながら、
神がご自分にある安息のしるしとして与えた日以外を守る人々も大勢いる。
そうした善良で誠実で、信仰篤い人々は、単純に、信仰の完全かつ適切な表現の仕方を学んでいないのである。
そうした人々の偽りのない信仰を神は受け入れてくださるのですが、しかし、だからと言って、彼らが守っている日が、人間を神以上に高めようとしているしるしである事実を変えることはできない。
神からの優しい警告を聞いて、それが背教のしるしであると気づいたならば、自分から捨てるであろう。
安息日は信仰のしるしだが、信じる事を強制できないように、人間に安息日の遵守を強制することもできないのです。
信仰は、神の御言葉を聞いた結果として自然と起こるものです。
自分を無理やりに信じさせることができないように、他人を信じさせることは、なおさらできません。
(無敵の信仰175ページ)