ごきげんよう!さわこです

 

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形式主義を永久に崩壊させるべき

キリストの十字架の後でさえ、

空しい信仰告白である死んだ形式主義は

再び高めれ、今日に至るまで

キリスト教会の災いのもととなっている。

 

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十字架から長く経たないうちに、

改心してもいない人々が教会に忍び込み、

キリストが高められるべきところで自らを高めた。

 

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生きた信仰による心の中のキリストの

生きた御臨在の欠如を見いだせないまま、

彼らはそれ以来、キリストのご臨在の欠如を

キリスト教的な形式によって埋めようとして来た。

 

キリストのご臨在だけが、それらの形式に

意味と生命をもたらすのにもかかわらず。

 

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キリストの真のご臨在も、

救いの希望も教会の制度に繋げられてしまった。

 

懺悔のための

難行苦行、巡礼、迷信、

細かい区別の仕方など、

自分たちが考えだした幾千もの

教えを付け加えるのである。

 

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ただの形式主義者達はいつもそうだが、

依然として彼らの生活は、

未だにただの肉の行いばかりである。

 

闘争や論争、迫害、偵察、裏切り、

そしてあらゆる邪悪な行いである。

これがローマ法皇権だ。

 

この死んだ形式主義の悪しき精神は

ローマ法皇権の組織の範囲を

はるかに超えて広がった。

今日に至るまで、あらゆる場所で

キリスト教会の災いのもととなっている。

 

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これは終わりの時から、天の雲に包まれて、

主が栄光と共に来られる日まで、

世界中に蔓延する悪となる。(第2テモテ3章1〜5節3章)

 

あなた自身はどうだろうか。

 

「無敵の信仰161〜163ページ」抜粋

 

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マラナ・タ

キリストの十字架さえ掲げていれば、

聖書に預言されている一切すべては、

不要であるかのように

思わせてしまう存在のことを

忘れてしまっていいのだろうか?