ごきげんよう!さわこです


神様がイスラエルに祭日や厳粛な集会、犠牲や捧げもの、歌を作られた目的は、生きた信仰を礼拝によって表現するための手段としてでありました。



その生きた信仰によって神が心に住まわれ、その生活に義を現し、その義によりみなしごや寡婦を保護して公平である義が川のように流れるためでした。



神の子羊の血によって罪を洗い、生きた信仰によって心が清められることが無くては、いかなる奉仕も神に受け入れられるものとはならないのです。

(無敵の信仰160頁より)



マラナタ

この世の汚れを 
祓い清めるかのごとき
神の御手なる
今日の雲