ごきげんよう!さわこです




エフェソ6:20
「わたしはこの福音のための使者であり、そして鎖に繋がれているのであるが、繋がれていても、語るべき時には、大胆に語れるように祈ってほしい。」

使者は派遣された人や国に対する敬意を持って扱われました。
宇宙の最高統治者であられる創造と贖いの神の大使であるパウロが鎖に繋がれているとは、無礼千万。甚だしく失礼極まりないことです。

聖書研究ガイドによれば、国家の使者は、「公職を示す鎖」を身に着けていました。

エフェソの手紙は、パウロの獄中書簡の一つです。彼は61年から2年間、囚われの身でした。
パウロが「鎖」と言ったのは、皮肉で味付けされたユーモアでもあります。
パウロは自分の鎖を「栄誉の印として身に着ける勲章」と考えていたのかもしれません。

(2023.9.22安息日学校聖書研究ガイドより)
 
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