ごきげんよう!さわこです
信仰を頂いた当初、先輩から、
「箴言は31章あるから、毎日、読むといいですよ。
生き方のアドバイスがありますからね。」
と教えていただきました。
確かに、確かに。
『箴言』(しんげん)とは、『戒めの言葉』や『人生の教訓となる短い言葉』という意味です。
『箴』という漢字には『戒めになりえるもの・言葉』という意味があります。
『箴言』は人生の教訓集・格言集のようなものです。
人生や社会における物事の真実を端的に述べたものです。
「眠りを愛するな、貧しくならないために。
目を見開いていれば、パンに飽き足りる。」
箴言20:13
昨日から黙想しています。
眠りを愛するな、とは、
「怠けるな、眠りをむさぼって怠惰になるな」という意味にとることができる。
眠たいから、好きなだけ眠るのだ。
いかなる状況であろうと、自分の体の欲するままに生きていくのだ。
それで良いじゃないか。というふうに考えるならば、
自分の快感・不快感を軸にしている。
そこには神様の視点はない。
貧しくならないために、とは、
眠たいときには、寝たいだけ寝て、
自由気ままに生きていれば、貧することになる。
たとえ、親が金持ちであっても、食いつくしてしまう。
目を開いていれば、とは、
自分の生活を自らコントロールできるならば、
日ごとの食事に事欠くことはない。
以上、表面的に読んでみました。
確かに人生の物事の真実が書かれています。
しかし、聖書でなくても、人生の格言集はあります。
神さまの仰せに従うことで、戦にも強く、農業牧畜も経済活動もうまくいく。
古代からヘブル人たちがこの世の中で成功するのを近隣の偶像礼拝者たち異邦人が見て、この神様こそ、本物だ、すごいぞ!と一目置き、偶像礼拝から離れてヘブル人の信じる神様を信じるようになって行く。
そして、宣教と伝道のために、見本となるように、神の仰せに事細かに従って生きよというお勧めなのだと思います。
幼少の頃から、聖書を読み、理解し、暗誦してきたユダヤ人の教育はすばらしいのだと、ノーベル賞受賞者はユダヤ人が群を抜いているのは、こうした聖書教育の結果だと言われています。
しかし、神様は、「旧約聖書」(律法の書)を何のためにお与えになったのか。
イエス様は、こうおっしゃいました。
ヨハネ福音書5:29
「あなたたちは聖書の中に永遠の命があると考えて、聖書を研究している。
ところが、聖書はわたしについて証しをするものだ。」
イエスさまは、聖書は「わたし」について証しするものだとおっしゃるのです。
聖書に従って生きたのなら、現世における成功(祝福)と来世における成功(祝福)が約束されている、と考えてしまいがちではないでしょうか。
それを実際に地上人生で手にされたというあかしを持っていらっしゃる方もいます。
それによって、多くの人をキリストに導き、伝道となった。
聖書に書かれている通りに生きて、健康が支えられ、長生きし、死ぬまで現役で働いて奉仕して、
神さまに用いて頂いたことを感謝し、神さまを讃えて、誰からも羨まれるような生涯を終える。
実際、そういったキリスト者の見本のような人々がいらしゃいます。
ですから、私は、地上人生レベルでの希望や願いを求めることを否定しているのではありません。
ただ、私はこの「パンに飽き足りる」との聖句から、天に属するものとしての命のパンを考えたいのです。
「眠りを愛するな、目を開いていなさい」という聖句から、眠らないで祈っていなさい、という御言葉を思いたいのです。
箴言からイエス様にお会いしたいのです。
この聖句から、三日間のデボーションとなりました。
マラナ・タ
イエス様の御腕の中で、生かされている命を感謝しつつ、
イエス様と共に歩める喜びで生きる力を頂いている事実を味わったのです。