ごきげんよう!さわこです
昨年の昨日、FBに投稿していた覚書です。
「カインは主の前を去り,エデンの東、
ノド(さすらい)の地に住んだ」(創世記4:16)
最初に神の前から去ったのはカインでした。
ヨナは、大魚の腹の中で祈りました。
「わたしは思った。あなたの御前から追放されたのだと。
生きて再び聖なる神殿を見ることがあろうかと。」(ヨナ2:5)
「息絶えようとするとき、わたしは主の御名を唱えた。
わたしの祈りがあなたに届き、聖なる神殿に達した。
偽りの神々に従う者たちが、忠節を捨て去ろうとも、
わたしは感謝の声をあげ、いけにえを捧げて、
誓ったことを果たそう。救いは、主にこそある。」
(ヨナ2:8-10)
カインは神様から逃れて後、神なしで生きたように思います。
カインの子孫たちの系図を見てもそうです。
カインの子孫は大洪水の時、死に絶えました。
ノアの招きに応じず、ノアを嘲笑った人たちでした。
カインのように、神の御前から逃げたヨナは、
しかし、神の元に立ち帰り、神の命令に従って
ニネベに行って、神の言葉を告げました。
ヨナは残りの民として、神様に従いました。
しかし、ヨナ書の最後までを読んでも、
ヨナは、相変わらず文句の尽きない預言者です。
まるで、私たちのようです。
イエス様の品性には届きません。
ヨナ書には、書かれてはいませんけれども、
神様はヨナが地上人生を終えるまで、
見捨てることなく、ヨナの信仰教育の手を緩めなかったんだろうな。
そんなことなど思いながら「今日の光2022.8.20」を読みました。
マラナ・タ
ああ、一年の立つのが早いこと。
膠着状態のままの人も
大きな人生の変換期となった人も。
確かなことは、ご再臨に、近づいたこと。