ごきげんよう!さわこです

信仰者の日常

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予想外の、想定外の苦難に出会った時

「神様、そう来ましたか!承知いたしました」

と応答して、生きて来た。

神様は、人知を超えた迂回路を用意されておられた。

と、いう証しを聞いたばかりでした。

 

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数日後、その証しに応答するかのような

タイムリーなメッセージが届きました。

 

神を信じる人は、

目の前の困難を超えて

神のすばらしい計画を

見守ることができます。

 

見返りとして、逆境と試練は

神に証言する機会となります。

 

私たちが最も苦しんだ場所は、

神が最も働く場所になります。

 

クリスチャンの人生で

最も辛い経験は、

最も祝福された経験です。

 

この経験は、

将来のサタンの

攻撃に対する力を与え、

激しい試練に耐えさせるでしょう。

 

逆境は癒しの薬であり、

死をもたらす毒ではありません。

神の目的は、

私たちの問題、痛み、罪よりも大きい。

 

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試練の日には、必ず思い出す御言があります。

 

コリント第一10:13

「あなたがたを襲った試練で、人間として耐えられないようなものはなかったはずです。神は真実な方です。あなた方を耐えられないような試練に遭わせることはなさらず、試練と共に、それに耐えられるよう、逃れる道をも備えていてくださいます。」

 

しかし、今朝は、そこだけを取り出すのではなく、前の聖句にも目を向けました。

 

8節9節10節を要約します。

みだらなことをしたものは・・・死にました。

キリストを試みた者は滅びました。

不平を言った者は、滅ぼされました。

 

11節

「これらのことは前例として起こったのです。

それが書き伝えられているのは、終わりの時に直面している私たちに警告するためなのです。」

 

どのように、警告されたのか?

 

滅びないためには、みだらなことをするな。

キリストを試みてはならない。

不平を言ってはならない。

 

だから、どうしたらよいのか?

神の言われたライフスタイルを守ってきた。

神に忠実な教会員である。

だから、私は大丈夫だ。

 

「行いさえ正しかったら神は万難から守って下さる。想定外のことは私と私の家族の上には起きるはずはない」という思い(行いによる義)が根底にあるのかもしれない。

「自分の生き方を救いの根拠とする不確実なものの上に置いた確実という思い込みが土台となっている。

 

12節でパウロはシンプルに書いている。

「だから、立っていると思う者は、倒れないように気をつけるがよい」

 

それに続くのが13節。

 

言い換えるならば、

真実なお方である神は、試練と共に逃れの道を備えてくださる。

その試練とて、耐えられるように備えてある。

真実な方に土台をおきなさい。キリストに土台を据えなさい。

逃れの道とは、キリスト・イエスそのもの。

 

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13節に続く御言葉は

 

14節「偶像を避けなさい」

・・・真実の神以外を礼拝対象とするな。

「わたしの言うことを自分で判断しなさい」

・・・自分勝手に判断しなさいという許可を与えているのではない。

 

キリストにつながって生き、

キリストを我がうちに内住させて、

御言葉から離れることなく生きていくならば、

神の御心に適った判断ができるはず。

 

「神様!そう来ましたか!承知しました!

私の思いを、あなた様の御思いと一つにしてください。

あなた様への信頼と平安を増し加えてください。

あなた様の知恵を識別をお与えください。」

という祈りへと導かれました。

 

マラナ・タ

信仰者の日常。

主の岩に立つ者は、揺れる事象が起きても、揺るがない。