ごきげんよう!さわこです。
バンマツリが咲きました。
ルカ12:35-48で
イエスは「主人の帰りを待つ僕たちのたとえ」をお語りになりました。
主人が何時に帰って来ても、
目を覚まして用意の出来ている者たちは幸いである。
思いもがけない時に、人の子は帰って来るのだから。
主人の心を知っていながら、
用意をしなかった僕は
厳罰に処せられ多く打たれるだろう。
しかし、知らずに打たれるようなことをした者は、打たれ方が少ないだろう。
多く与えられたものからは多く求められ、多く任された者からは更に多く要求されるのである。
主人は、忠実な思慮深い僕には多くを任せるのである。
だから、あなた方も用意をしていなさい。とイエスさまはおっしゃった。
エレン・ホワイトは、
「光を持たない異教徒と、
真理と光の知識が豊富にあるところに住んでいる者たちに対する神のテストは、全く異なる。
異教世界からやってきた者たちによる、ある程度の義を神がお受けいれになったとしても、その義がキリスト教世界に生きる者たちによる時、それで満足なさる訳ではない。
多く与えられていないところから、神は多くを要求なさらない。
(EGホワイト・スタディバイブル新約173ページ)
体験的な知識によってキリストを知っていない自称クリスチャンが多い。
これらの欺かれた用意の出来ていない魂たちが目覚めさせることを切望する。
自己が、自分の関心事のすべてが、人生のテーマのすべてとなることのないように。
彼らがキリストを仰ぎ、自我に注目を寄せることをやめることができるように熱望する。
最後の決算の日に、苦い失望を味わう者の中には、外見は宗教的に見え、クリスチャン生活を送っていたかのように見えたものたちがいる。
(EGホワイト・スタディバイブル新約174ページ)