ごきげんよう!さわこです

 

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精神科医、片田珠美さんの「他人を攻撃せずにはいられない人たち」をさわり読みしました。

 

他人を攻撃してくる人が、なぜそんなことするのか?

どう攻撃してくるのか?

そして、そんな人に出会ったらどうしたらいいのか?

 

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私は、そのような人にしばしば悩まされてきました。

人間不信に陥りそうになったこともありましたし、人には裏表があることにも、攻撃するタイプと、攻撃されやすいタイプのあることにも気づくようになりました。

 

そして、気が付いたことは、攻撃的な人の目的は、相手を貶めて自分の評価を相対的に高めたり、嫉妬や恨みつらみを、相手を貶めることで解消したりしているのではないのかということでした。


そうしたタイプの人たちは、一種の自己愛性人格障害者と呼べるかもしれません。

劣等感と嫉妬に突き動かされると、その衝動のままに行動してしまうのではないのか。

しかもターゲットにできる人の特徴を敏感に嗅ぎつける能力が高いのです。

 

私が体験的に気づいたことを精神科医が書いてくれていたのです。

 

ターゲットとなる人は、自責的で悲観的傾向があり、自分を変えようとする意志がある人たち。

罪悪感を煽られても共依存にならず、必死で耐える客観性のある人たち

という見解には安堵感を得ました。

 

いじめられる私の方に問題があるのだから、それをクリアしたら解決するのに違いないと、自分の方の落度を重箱の隅を突っつくみたいに探し始めてしまうのでした。

 

しかし攻撃する側は他責的で自己陶酔感に溺れて自分では変わろうという意志のない人たちです。

攻撃しないとメンタルの保てない人たちに怯える必要なんてないのです。と、きっぱり。

 

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「自分以外は、正しい」「他者はみな私の教師である」的な思考に縛られてしまっていたのだと気づくと肩の力が向けていくようでした。「反面教師」もあるという発想がなかったのですね。

 

攻撃する側は「私はOK あなたはNO」的な思考を身に着けている。

そういう脳回路の人物なのかもしれません。

 

 

その脳の仕組みが分かると、相手のことはコントロールできないので、適正距離を置いて、その被害に遭わないように対策を立てるたらよいのです。

 

自分でできる方法は、

♪神を知ること、愛すること、主に従うことです♪

 

聖書から神の知恵を受取ることです。

イエスさまに内住していただき、いつもイエスさまの側に立つことを選択することなのです。

 

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そして実際的には「教えてくれてありがとうございます。私が間違っているかもしれませんが」という枕詞を先ず言うと攻撃する側は一瞬満足して、攻撃の開始が遅れるかもしれません。

そのタイミングで、自分の意見を言う。

 

すぐ言葉にまとまらない時には、

「そうなんですか・・・時間がありませんから」とか何とか言って、その人から離れてしまうこと。

 

そういう機知を働かせればいいのだと。

そういう方法で、毒牙を受取らないで済むのですね。

上手に逃げる。スルーする。すりぬける。

 

イエスさまだって、毎回、攻撃してくる反対者に関わっていたのでもないのです。

 

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マラナ・タ

幾つも突き刺さった棘による傷には、イエス様の癒しの御手が置かれることは確実な御約束です。