ごきげんよう!さわこです
柊の花を初めてみました。
昨日の買い物の帰り道。
 
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サタンは、最初からキリストを亡き者にしようとしました。(黙示録12.4..5)

しかし、サタンの企てはすべて失敗しました。
 
キリスト誕生の時、天使はヨセフとマリアにヘロデの邪悪な計画を警告し、二人はエジプトに逃れることができました。
 
イエスは、荒れ野でのサタンの最も魅力的な誘惑に「・・・と書いてある」と言って立ち向かい、神の御言葉に守りを見出されました。
 
十字架の死において主は、ご自分の愛の大きさを示し、罪の刑罰から私たちを救い出されました。
 
また、復活された主は、生ける祭司として、人生における罪の力から私たちを救い出して下さいます。
 
(安息日学校聖書研究ガイド2023.3.27)
 
 
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私たちは「小羊の血」によって「勝利を得る者」になります。(黙示録12.11)
 
キリストの犠牲こそが全天が注目する焦点です。
 
十字架以上に神の測りがたい無限の愛を示すものはありません。
 
キリストが私たちのためにしてくださったことを、信仰によって受け入れる時、私たちの負債は帳消しになり、私たちは神の御目には完全な者として立つことができます。
 
私たちが贖われ、勝利し、救われたのは、私たちの功績によるのではなく、私たちに代わってキリストが勝利してくださったからです。
(安息日学校聖書研究ガイド2023.3.28)
 
梅も桜もいいが、木瓜もいい。
なんで、ボケと読むんだろうか。
 
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わたしのあかし
これが聖書の約束です。福音です。
これを真理だと真実だと信じ切る信仰は、聖霊の導きなしには起こらないのです。
 
キリスト教国家の殺戮の歴史を知り中学高校生だった私は、キリスト教は「愛」ではなく、危険な偽善の宗教だと思いました。
その考えは大人になってもの変わりませんでした。
聖書の中の人の心を打つ聖句も物語も人の心を操る手段として見てしまいました。
 
キリスト教国家とキリスト信者の実際的現実は私の心をキリスト教に向かわせませんでした。
いくらキリスト者の美談を見聞きしても。
 
しかし聖書を通信講座によって聖書の真髄を知った時、聖霊の神様は私の心を氷解させました。
 
神は霊である。霊のことは霊によらずには分かり得ない。と書いてありますが、確かにそうでした。
1コリント2章、12章、2コリント3.17他にも。是非、聖霊に導かれて聖書を読んでください。
 
未熟な退廃的なコリント教会に宛てた手紙には神の霊の働きが書いてあります。
 
私がキリストを信じるようになれたのは、
私の熱心ではなく
憐れみ深い神の霊(神のアガペの愛)
の故であったと宣言できます。
 
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マラナ・タ
主イエスよ、来たりませ。