ごきげんよう!さわこです

 

 

さて、ポール・トゥルニエの「罪意識の構造」を、行きつ戻りつ読み進めています。

286ぺージもある本。1972年に初版発行されて、1993年に9刷発行。

 

2023年教会書庫の整理中に発見して持って帰りました。

出版されてから20年後に購入され、きっと転勤して行かれた歴代牧師の置き土産のような気がします。

それから30年後に、教会員のひとり(わたし)に見出されて、共感しながら読まれている次第なのであります。

 

はげたトタン葺きが、郷愁をそそう。

昭和ノスタルジーの場面

 

 

世の中にかくも多くの不正、犯罪、苦悩がある時、私たちは皆、意識的にしろ、無意識にしろ、拡大された罪意識を経験する。

 
私たちは、他人の犯す過ちについて、常に自責の念に駆られる。
人間の連帯感は各自の心に深く刻まれている。
身近な人間の行動の場合、強くそれを感じる。
 
責任を自覚するところにこそ、人間としての尊厳があるのである。
 
神に近づけば近づくほど、私たちは神の恵みを経験し、さらにまた以前には気もつかなかった罪を発見して、それに悩むのである。
 
(ポール・トゥルニエ「罪意識の構造」50-54頁より抜粋)

 

 

マラナ・タ
自分のうちに潜んでいた罪悪感を、クリスチャン精神科医に説明してもらっているような気持ちになります。
カウンセリングを受けているようです。
読み進めながら、少しずつ紹介していきます。