ごきげんよう!さわこです。

 

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今日の安息日学校の子どものクラスは、マタイによる福音書の25:1-13です。

有名な「十人のおとめ」のたとえです。

 

子どものクラスに当たっては必ず準備をします。

そのために特に助けとなるのは、エレン・ホワイト選集。

一部をまとめました。

 

神の聖霊がないならば、どんなに御言葉の知識があっても役に立たない。

 

聖霊を伴わない真理の理論は、魂を生かすことも、心を清めることもできない。

 

聖書の戒めや約束をどんなによく知っていても、神の霊がその真理を心に深く刻み込まなければ、品性は変えられない。

 

聖霊によって、目が開かれるのでないならば、人は真理と誤りを見分けることができず、サタンの巧妙な誘惑に陥ってしまう。

 

たとえ、偽善者でなくても、真理に関心を持ち、真理を擁護し、真理を信じる人々に惹きつけられていても、聖霊の働きに自分自身をゆだねていないならば、その人の古い性質は砕かれていないのである。

 

聖霊は、人が心の中に新しい性質を植え付けられるのを望み、同意するのに応じて働かれるのである。

 

神の品性を学ばず、神と交わっていないならば、神を表面的にしか知らない。

神への奉仕も形式化してしまう。神の言葉を聞いても行わない。

 

そして、自分の霊的な欠乏に気づくと、それを他者に補ってもらおうとする。

ところが、霊的なことは他者の欠乏を補うことはできない。

 

神の恵みはすべての魂に豊かに与えられた。

しかし、他の人に代わって信じることはできない。

他の人に代わって聖霊を受けることはできない。

聖霊の働きの実である品性を、人に分け与えることはできない。

品性が分かるのは危機においてである。

 

日頃から非常の場合の用意があるかないかが明らかにされる。

神の約束に真の信頼を置いているかどうかが分かるのである。

 

恵みの終わりの時には、最後の大きなテストがくるが、魂の必要をば満たすのは、その時では遅すぎる。

 

(希望への光第29章 花婿を迎える準備 より抜粋・要約)

 

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マラナ・タ

聖霊様の導きによって授業は展開します。

子どもたちの反応で広がり深まります。

1から13節まで子どもたちは輪読します。

子どもたちってテキストを読むよりも「聖書」を読む方が好きなのです。