ごきげんよう!さわこです。
「アドベンチストの信仰 第20章 管理者としての務め」を読み返しています。
クリスチャンになってまもなくスチュワードシップという言葉を初めて聞きました。
そもそも英語は得意ではない私。
英語を学ぶ喜びに触れることなく、学期試験用にしか勉強しなかったので、試験が終われば記憶は薄らいでいく。
振り返ってみれば、残念なことですが、国語や歴史のように、趣味と遊びの延長線上にある学問しか記憶に残っていないというのは、実にお粗末な学校生活であったという情けない話です。
さて、打ち明け話はここまで。
やがて、スチュワードシップとは「教会での献金に関することを意味します」と、今は亡き教会長老さんに教えてもらいました。
では、教会の会計さんの限定のご用、任務なんだと早とちりして、数字に弱い私には絶対回ってきてほしくない係だと決め込んでいました。
スチュワードシップとは、「管理者の務め」「教会に集まった献金を管理する事」「教会財産の管理」なのですね。政府機関では「かつての大蔵省、今の財務省」の働きとなるのでしょうか?
さて、また、また、私の思想的打ち明け話が介入します。
昔はよく、「我が家の大蔵省はお母さん、妻である」とおっしゃる男性陣がいました。
日本は男尊女卑の文化で、西洋に遅れているので、女性の権利を守らなくてはならないというフェニミズムの思想が、私の若い頃に出てきました。
ボーボワールの「女性は女として生まれるのではなく、女になるのだ」
と、フェニミストのハシリのごとき先輩から聞いた言葉です。
今にして思えば、フェニミズム思想をリードしていたボーボワールなんですね。
今の若い人たちは、彼女の名前を知っているかしら。
哲学者サルトルと結婚しないで夫婦生活めいた生き方をしていて、それが、また進んでいるかっこいい女性として一部の思想家やジャーナリズムでは評価されていました。
しかし、ですね。
その同じ時代の日本社会の殿方は「妻は、母は、我が家の大蔵省だ」と専業主婦である女たちを言っていたんですよね。
フェニミストたちの周辺にはそういう男たちがいなかったのでしょうか?
フェニミズム思想に傾倒していく女性の家庭は、男尊女卑家庭だったのでしょうか?
私は、両親・祖父母・曽祖父母の姿からは「男尊女卑家庭」とは思えない環境にありました。
流行に乗っかることのできない無器用な子でした。
つまり、脳みそが徹底的に洗脳されきらない環境にあったということは、幸いなことだったのではないでしょうか。
ここで打ち明け話はおしまい。
本論に戻ります。
「私たちが財産をどう扱うかはどれだけ神を愛し隣人を愛しているかを示します」
と、アドベンチストの信仰の472ページにありました。
亡き長老さん、こう説明してくださったら、よくわかりましたのに。
少し戻ってアドベンチストの信仰474ページには、以下のようにあります。