ごきげんよう!さわこです。

春三月。

庭の花桃がまっさかり。

 

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攻撃的な言動を受けたとき、

そう言わざるを得ない動機(原因)があったのだと考えでみる。

 

私にその原因があったからに違いないと決めつけてしまわない。

自分を責める道具にしない。

 

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     ご町内に、満月さんのお出ましだ。

 

人の語る言葉はその人の現住所を書いているようなものだ。

その人の名刺であり自己紹介の一部に過ぎないのだ。

だから、たじろがない、不用意に傷つかなくても良い。

 

今までに受け取って来た名刺の一枚として

名刺入れに片づけておけばよい。

返す返す眺めなくてもいいのだ。

 

人の語る言葉は、

その人の心の1ページかもしれないし、1行かもしれないし、

幸か不幸か、全部かもしれない。

 

  美しいままで落ちてしまう椿かな

 

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人の語る言葉は、また、その人の排せつ物かもしれない。

もしそうだとしたら、自分で始末できない人かもしれない。

 

では、行き遭わせた者が

そっとふき取ったらいいではないか。

 

いつでも近くにゴミ箱があるわけではないのだから、

ゴミ箱までの一時預かり係というお役を

神さまから任されたのだと考えてみる。

 

そのためには、いつも、ポケットティッシュと小さなポリ袋は持っておくといいよね。

それが、神様に召された者の備えかな。

 

   なにがあっても

   なにが起きても

   イエスが居たもう

   わたしの隣り

  

天の聖所には神の御座がある。

わたしのうちには、イエス様の住まわれる聖所がある。

 

     この花はほとけのざ

 

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自分の考えは自分の考えとしてしっかりと持ちながら、

その人にはその人の考えがあることを認めて、

その現実を受け入れよう。

 

神様を中心にしていれば、

自分と他者の境界線を明確に持つことができるはず。

 

現実を受け入れない時、

「べきである」「ねばならない」「なぜ、そう言うのか」

自己正義が目を覚ます。

 

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   タンポポを見ながら考える。

   境界線は大事です。

 

地上人生では、識別力が必要。

適性距離も必要。

 

マラナ・タ

自然をお造りになったのは創造主。

自然の理に、翻弄されて苦しむ者たちのために

贖い主として来られた神様ご自身であるキリスト。