ごきげんよう!さわこです




2003年6月15日第6刷発行。
20年近く前に購入しました。
先日、この動画を見て本を持っていたことを思い起こし、再読しています。

いくつか、印象深いところを紹介します。
今、パソコンが不調。
スマホからの投稿です。
文章に色分けできません。



私は死について考え始めました。私は助けを求めながら聖書のページをめくりました。問いに対する導きと答えを求めて神の御言葉を読むことが、私の心の習慣となりました。
(39ページより)

イエス様に生涯を導いてくださるようにお願いしなさい。
(マーガレット・パワーズの姉の言葉)

「思い出や失敗は、障害になることではなくて、道標であるべきなんだ」
(マーガレットの夫ポール・パワーズの言葉)



エレミヤ書10章23節で、神はひとりの昔の預言者に語っておられます。
私たちの人生は私たち自身のものではなく、私たちを導くのは私たちではないと。
「主よ、わたしは知っています。人はその道を定め得ず、歩みながら足取りを確かめることもできません」

主よ、わたしを懲らしめてください。
しかし、正しい裁きによって。
怒りによらず
わたしが無に帰することのないように。
(エレミヤ書10の24)



死や病気を理解したり受け入れたりできないのは、問いの答えを間違ったところに探し求めているのです。
心痛は、学び、成長する過程の一部だったのです。
神様は、歩みを指示なさり、立ち止まることも命じられます。

「わたしの大切な子よ。
わたしはあなたを愛している。
あなたを決して捨てたりはしない。
ましてや、苦しみや試みの時に。
あしあとがひとつだったとき、
わたしはあなたを背負って歩いていた。」

(「あしあと」43頁より)



神様は、神様を知る必要のある人たちを愛する愛を、私の心の中に置いておられた。

人々にはあなたの赦しが必要なのです。
じっと見つめれば、そのような人々を見つけるでしょう。

赦しは、踏みにじられた花が靴の底に残す芳香なのです。

(61.62ページより)



マラナ・タ
「あしあと」の詩は、世界中に作者不詳として広がっていましたが、やがて作者がわかりました。
旅先で大怪我を負って入院した病院で、看護師さんから、作者不明としてこの詩で励ましをもらったのです。作者は非常に驚き、自分の信仰詩で励まされ神様への信頼をさらに深めたのでした。