ごきげんよう!さわこです。
ヘブライ書を読みながら、エゼキエル書とエレミヤ書が迫ってきました。
 
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ヘブライ3:7-19 口語訳

7 だから、聖霊が言っているように、「きょう、あなたがたがみ声を聞いたなら、
8 荒野における試錬の日に、神にそむいた時のように、あなたがたの心を、かたくなにしてはいけない。


9 あなたがたの先祖たちは、そこでわたしを試みためし、
10 しかも、四十年の間わたしのわざを見たのである。だから、わたしはその時代の人々に対して、いきどおって言った、彼らの心は、いつも迷っており、彼らは、わたしの道を認めなかった。


11 そこで、わたしは怒って、彼らをわたしの安息にはいらせることはしない、と誓った。


12 兄弟たちよ。気をつけなさい。あなたがたの中には、あるいは、不信仰な悪い心をいだいて、生ける神から離れ去る者があるかも知れない。


13 あなたがたの中に、罪の惑わしに陥って、心をかたくなにする者がないように、「きょう」といううちに、日々、互に励まし合いなさい。


14 もし最初の確信を、最後までしっかりと持ち続けるならば、わたしたちはキリストにあずかる者となるのである。


15 それについて、こう言われている、「きょう、み声を聞いたなら、神にそむいた時のように、あなたがたの心を、かたくなにしてはいけない」。


16 すると、聞いたのにそむいたのは、だれであったのか。モーセに率いられて、エジプトから出て行ったすべての人々ではなかったか。


17 また、四十年の間、神がいきどおられたのはだれに対してであったか。罪を犯して、その屍を荒野にさらした者たちに対してではなかったか。


18 また、神が、わたしの安息に、はいらせることはしない、と誓われたのは、だれに向かってであったか。不従順な者に向かってではなかったか。


19 こうして、彼らがはいることのできなかったのは、不信仰のゆえであることがわかる。

 

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ヘブライ8:10-12
10 わたしが、それらの日の後、イスラエルの家と立てようとする契約はこれである、と主が言われる。すなわち、わたしの律法を彼らの思いの中に入れ、彼らの心に書きつけよう。
こうして、わたしは彼らの神となり、彼らはわたしの民となるであろう。

11 彼らは、それぞれ、その同胞に、
また、それぞれ、その兄弟に、
主を知れ、と言って教えることはなくなる。
なぜなら、大なる者から小なる者に至るまで、
彼らはことごとく、わたしを知るようになるからである。

12 わたしは、彼らの不義をあわれみ、もはや、彼らの罪を思い出すことはしない。
 
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ここを読みながら、旧約聖書を思いました。
エレミヤ書とエゼキエル書です。
 
エレミヤ31:31-34 新共同訳
 
31見よ、わたしがイスラエルの家、ユダの家と新しい契約を結ぶ日が来る、と主は言われる。
 
 32この契約は、かつてわたしが彼らの先祖の手を取ってエジプトの地から導き出したときに結んだものではない。わたしが彼らの主人であったにもかかわらず、彼らはこの契約を破った、と主は言われる。
 
 33しかし、来るべき日に、わたしがイスラエルの家と結ぶ契約はこれである、と主は言われる。すなわち、わたしの律法を彼らの胸の中に授け、彼らの心にそれを記す。わたしは彼らの神となり、彼らはわたしの民となる。
 
 34そのとき、人々は隣人どうし、兄弟どうし、「主を知れ」と言って教えることはない。彼らはすべて、小さい者も大きい者もわたしを知るからである、と主は言われる。わたしは彼らの悪を赦し、再び彼らの罪に心を留めることはない。
 
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エゼキエル36:26,27 新共同訳
 
わたしはお前たちに新しい心を与え、お前たちの中に新しい霊を置く。
わたしはお前たちの体から石の心を取り除き、肉の心を与える。
また、わたしの霊をお前たちの中に置き、わたしの掟にしたがってあゆませ、わたしの裁きを守り行わせる。
 
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また出エジプト24:1-8では
「民は皆、声をひとつにして答え『わたしたちは主が語られた言葉をすべて行います』と言った」。
 
ここから、「…言った」にも関わらず、実際は行えなかったという事は明らかです。
 
 
思っても、願っても、文字で書かれた律法を守っても、行えないのです。
 
人間の手の内に在る「律法」が「文字」である限り、人間の心を新しくすることはできないから、救いにつながらない。
 
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つまり地球外からの神様の介入として「生ける神」の訪れによらなくては「文字」の律法が生きてこない。
 
安息日の主がイエスであり、律法・十戒・聖所がイエスであることにつながることが古い契約の本質だと思います。
 
エレミヤ31:31-34とエゼキエル36:26,27は、
天から(地球外から)御子として降って来られた、律法その本体であるお方のことを記しているのだと思います。
 
ダニエル書の2:34「ひとつの石が人手によらずに切り出され、その像の鉄と陶土の足を打ち砕きました」
 
ここは「ご再臨」のことですよと、入信したばかりの頃に教えてもらった聖句ですが、ここにつながると思いました。
 
ご再臨の日にイエスと共に天にあげられて行くためには、「恵みの時である今」自分のうちにキリストをお招きしなくてはなりません。
 
御霊の導きに逆らっては、律法の本質は見えないのですもの。
 
私たちの回心も、人手によらない「神」ご自身のわざなんです。
「聖霊の導き・神の恵みによる救い」とも言えるのですが。
 
イスラエルの人々が守れなかった神の律法を主イエスが守り、古い契約を守る道を開いて下さった。
 
そして、それが、実は新しい契約とも呼ばれているという事です。
 
「旧い契約」と呼ばれていますが、それは「新しい契約」と呼ばれるようになった「古い契約の本質」だと思うんです。
 
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マラナ・タ
旧約ではエレミヤもエゼキエルも受肉前のイエスによって語っており、新約では人性を取られたお方がお語りになった。
 
ヘブライ書はそれを言っているのではないかと思いました。