ごきげんよう!さわこです。
インターネット&ゲーム中毒にから解放された青年の証を読みました。
証を編集して紹介します。
(彼は韓国人の21歳の大学生。中学生の頃からゲーム中毒になり20歳の時に酷いゲーム中毒に陥り、セロナムシムト療養所に1年半前から入所してゲーム中毒等から解放された経験を持っています。)
僕は2021年7月末にこのセロナムシムトに入所して、現在も滞在しています。
僕は、ゲーム中毒、ポルノ中毒でここに来る事になりました。
僕が中毒に陥った原因が2つ程あります。
一つ目の原因は友達たちとの関係でした。
ある誤解によって僕は傷つき憂鬱で自信感のない学生生活を過ごしました。
2番目の原因は母との関係でした。
僕の母は自分が思い描いた僕の姿を型にはめて、その型から外れた時には強制的にその型にはめ込もうとしました。僕は凄く嫌でした。「何で出かけるの?友達は誰に会うの?決められた時間までには帰って聞きなさい」と、細かく干渉されるのが本当に嫌でした。
この様に僕は友達関係、家族関係の中で楽しみを見出せなかったので、とてつもない快楽を与えてくれるゲーム、ポルノに落ち行って行きました。
中学生の時から始まって、20歳になってもコロナの為、オンラインで大学の授業を受ける中で、ほぼ1日中この様な生活を送る様になりました。
ある日、壊れた僕の姿のせいで号泣している母の姿を見て僕、僕は母がなんで泣いているのか、悲しみや感情を感じる事が出来ませんでした。
道徳性と感覚が麻痺していたのです。
また、数日前に友達との会話を思い出しました。
『うーん凄い美味しい!凄い幸せ〜!』と言うのです。
『何がそんなに幸せなの?』と聞くと。
『こんなに美味しい物を食べているから幸せでしょ、お前は幸せじゃない?ホントに変だね…』僕は幸せな感情を感じられませんでした。
そんな自分が、これからどうやって生きたらいいのか?
この先がとても暗くて怖くて寝られませんでした。
そのような中、僕は、神様の恵みでこのセロナムシムト療養所にくる事が出来ました。
ここに来た初日、院長先生とのカウンセリングをしました。
言われた事は、サタンのチャンネルと神様のチャンネルがあって、僕がこの様になったのはサタンのチャンネルをずっと見続けていたからだと、そして、このチャンネルを変えると良くなると言う事、神様を呼び求めてみてと言われました。
セロナムで過ごした2ヶ月間で、僕の感覚が殆ど回復しました。
今振り返ってみると、僕が何かをやったからと言うわけではなく、ただ神様が救い出してくださった恵みによってのみだったと思います。
2ヶ月が経ってから、私の中毒問題が解決され始めました。
ある日、ふと前に見たポルノを思い出して、その快楽の記憶が浮かびました。
その快感、スリルをもっと感じたくて おかしくなりました。
それで考えを変えようとして、
あ、神様を呼び求めてと言われたよね?
でも、この欲求が抑えらない…もう一度考え直そう。
このまま行けば私の人生どうなる? と。
あ、呼び求めないといけない。
欲求を手放すことを決心し、その考えを切り捨てて神様を10分、20分、呼び続けました。
それによって欲求が消えていきました。 心はとても落ち着きました。
欲求から解放された、この経験を何度も体験するようになりました。
それで私が悟ったのは、僕は快楽を諦めることを決心したのに、どうしてしきりにゲーム、ポルノが思い浮かぶの? 考えたくないのに。
なんで他の人は何でもないのに、僕だけこんな事がこんなに好きなんだろう?
あ、僕が騙されていたんだ。
ゲームをするから楽しいのではなく、ゲームをする時にサタンが感情に入ってくるから楽しかったんだ。
楽しいのになんの問題があるの?って、
楽しんでいた感情に従っていたから、すっかりハマってしまったんだ。
精神的な問題だったんだ。
この様な事に気が付いた事によって、謙遜になっていきました。
自分はこれくらいの存在なんだなと。
サタンが感情に入ってきたら引きずられていくしかない存在なんだな。
だから神様に頼るしか手立てがありませんでした。
サタンは僕にその快楽の記憶を注入し続けるので生きるためには、サタンと戦うしかありませんでした。
ずっと試練は襲ってくるけど、ある時点から、
あ、前ほど辛くはないね?
また時間が経って、あの時より戦うのが大変じゃないな?
罪に惑わされる気持ちが小さくなった。 戦うほど、欲望が減っていきました。
今も欲望は残っていますが、最初と比べると本当に大きな違いがあります。
ポルノゲームに関心がなく、嫌いになっていくようです。
中毒から自由を得るようになりました。
高校3年生の時に図書館で勉強していた時は、30分勉強してスマートフォンがしたい欲望が生じたらそのまま3時間していました。
欲望をコントロールできない。
意志薄弱になって、 やらないようにしてもダメ。
でも今は勉強が出来るのです。
僕が勉強の計画を立てて、そのまま出来る事がとてもありがたいです。
知力が飛躍的に上昇したわけではありませんが、閉まっていた蓋が開いた感じです。
心はいつも平穏です。
以前はストレスと思っていた事が起こっても、今はストレスとして感じずにいます。
僕を強制し、執着していた母の態度が変わり、母に対する僕の心も変わりました。
母がした行動が僕を愛しているからだったんだと…
母と僕の間にサタンが入り込んで関係を壊していたんだと…
母の愛を僕が感じ、母を愛するようになりました。
死ぬほど憎かった母が今はとても楽で、一番近い親友になったようです。
僕の未来をまた築き直す事になりました。
牧師になって自分の様な状況にいる中毒に陥った人々を救ってあげたいと言う目標を持つようになりました。
その目標に向かって走っています。
ずっと前を向いて走り続け、過去に戻りたくないです。
残った人生を神様の中で謙遜に幸せに暮らしたいです。
サタンの話をすると、嫌がる人がいます。
嫌う人がいます。
聞きたいのは神さまの愛であって、サタンの話じゃない!と、言うのです。
聖書から「サタン」に関する部分を削除したら、どうなるのでしょうか?
また、こんなことを言う人もいます。
聖書から荒唐無稽な奇蹟の話は、省いた方が知的で理性的な人にも受け入れられるんじゃないの?
奇蹟もサタンも聖書から除けちゃったら、宣教は進むんじゃないの?
どう思いますか?
この青年の証しには、サタンが実際的に、人間にどのように関わるのかが分かると思います。
道徳だけでは、人間はサタンに太刀打ちできないのです。
マラナ・タ
この世界は、神様と神様に反逆するサタンとの大争闘です。
聖書の大テーマであるのです。