ごきげんよう!さわこです。
まだ、咲いている。
また、咲いている。
夏の花
トランペットエンジェル
12月にも咲く。
2022年6月24日の覚書を12月にみつける。
自制心とは、
何かをしないことではなく、
神のことを優先して行う心です。
神の預言の言葉は、
人の応答によって、
現実の出来事は変化します。
神の預言は、
未来の断定ではなく、
人の内側に光を当てて、
人が神と正しい関係に入るように導きます。
神の預言は一方通行ではなく、
人への語りかけですから、人
の応答によって結果が違って来ます。
信仰の闘いは、
「わたしではなく神が」とする自分自身の内側から始まります。
それは、内側を清くする「悔い改め」の戦いてもあります。
ローマ6:23-24
全ての人は罪を犯したので、神の栄誉を受けることができず、ただ神の恵みにより、キリスト・イエスによる贖いの故に、値なしに義と認められるのです。
罪と戦うのは、
主イエスご自身であり、
私たちではありません。
だからこそ、
私たちの信仰の戦いのスタートは、
主が私の中で主権を取り、
自由に行動できるように、
自分を明け渡し、
神の武具を身に着けて備えることです。
人が、神の選びを
信仰によって
受け取り、
信じ、
応え続けなければ、
神の御心は成就しません。
ヤコブの子たちでは中で、
ユダが用いられたのは、
彼が最も悔い改めた人だったからです。
神の前に悔い改める人は、
人々からも信頼されるようになります。
悔い改めは、
恥ではなく、栄光を受け取ります。
主の僕となって行動するならば、
聖霊の神から必要な能力を受けとることができます。
(マタイ28:19,20.使徒1;8)
信仰の勇者とは、
神を信頼して、
主に自分をゆだね、
問題をゆだね、
人々の魂の救いを求めるなど、
徹底的に「自分ではなく主が」と
する人であることを覚えましょう。
主の前に身を低くしましょう。
屈めば屈むだけ、
跳躍の力が蓄えられます。
何故なら、
謙遜が深ければ深いほど、
主がその人を高く引き上げるからです。(1ペテロ5:5)
何かをして、神の栄光を現すのではなく、
主に繋がり続けることで栄光は現れます。
日々、御言葉によって主に留まり続けましょう。
聖く、傷のない祝福とは、神と直結する恵みです。
裁きに無罪ではある確信は、自分では造れません。
主が与えてくださいます。
2コリント3:16
主に向く時には、その覆いは取り除かれる
マラナ・タ
保育園の園庭に咲くのは
うるわしの白百合
復活のイエスを偲ぶ花
12月にも咲いている。