ごきげんよう!さわこです
 
この月は2日金曜日に写したものです。
 
image
 
ダンテ(1265 〜1321)の「神曲」の中で、死後の魂は、地中の地獄または煉獄に行き、そこで人間の霊が自分で自身を清め、神様の前に出るに相応しい者となることができると書かれています。
 
これは架空の物語です。
しかし、ローマカトリック神学に多大な影響を与えました。
 
不死の霊魂が地獄または煉獄、あるいは天国に行くという基本的概念は、カトリック教会の基礎となっています。
 
多くのプロテスタント諸派も、霊魂は不滅であり、死後、天国に上がるか地獄に下ると信じています。
 
4時過ぎての帰り道
冷たい風に、マフラーで襟元を抑えながら見上げた夕月
 
image
 
あなたはどうですか?
昔の日本人は、死後は極楽浄土に行くか、地獄に行って閻魔大王の裁きを受けるか、
どちらかだ・・・みたいな話を小さな頃から聞かされてきたのではないでしょうか?
 
幼稚園の頃、私は祖父から聞かされました。
お風呂場で湯船に浸かりながら聞いたことを鮮明に覚えています。
だから悪いことをしたり嘘をついたりしてはいけないよ、と、元尋常小学教師だった祖父の道徳教育でした。と今になって思います。
 
そうやって、子どもたちは、お年寄りから、善悪の基準を教えられて来た時代だったと思います。
それは、祖父も祖母も、連綿と教えられてきたのかもしれません。
 
古い記憶をたどれば、祖父母は、明治20年代の生まれでした。
そして、父は大正10年、母は昭和2年の生まれ。
 
image
 
もし、人間の霊魂が決して死なないのなら、肉体の死後、どこかに行かねばならないことになります。
 
このように、人間の本質の誤った理解は、恐ろしい神学的な誤りを生んだのです。
 
(2022年安息日ガイド4期71ページより)
 
マラナ・タ
ダンテの「新曲・時獄篇」
芸術作品の功罪を改めて考えてしまいました。