ごきげんよう!さわこです
神の言葉の証言は、行いを伴わない信仰という人を惑わす教義に反対している。
憐れみを受ける条件に従わずに、神の恵みを受けることができると主張することは、信仰ではなくて、臆断である。
「『彼を知っている』と言いながら、その戒めを守らない者は、偽り者であって、真理はその人の内にない。しかし、彼の御言を守る者があれば、その人の内に、神の愛が全うされるのである」1ヨハネ2:4.5
ここに、すべての人の信仰の告白を試みる試金石がある。
自分とキリストの間の距離が、遠ければ遠いほど、
また、神の品性と要求に対する見解が不十分であればあるほど、
人間は、自分自身の目に正しく思われるのである。
「各時代の大争闘」
新書版540 -541p抜粋
マラナ・タ
この本をまた読み返しています。
何回も読んでいるのに「新鮮」に感じてしまいます。
多分自分の信仰の成育の度合いに応じてしか理解できないからでしょう。