ごきげんよう!さわこです。

「無敵の信仰」感想文 その1

最後まで読んで、その2、その3…と感想文を書き続けられるかな。

とりあえず、「その1」としておこう。

 

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「どうやったら、自分の祈りが叶えられると信じられるのか?」

「無敵の信仰」第1部 45-47ページを読んで、デボーション

 

 

信仰は、聞くことによるのであり、

聞くことは、神の御言葉から来る。

 

ローマ10:17

「実に、信仰は聞くことにより、しかも、キリストの言葉を聞くことによって始まるのです」

 

つまり、神の御言葉が、信仰を働かせる唯一の手段である。

だから、神の御言葉がなければ、信仰はあり得ない。

 

信仰によって求めるためには、

先ず、求めているものに関して

神の御言葉があるかどうかを確かめねばならない。

 

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求めているものに関して、

神の御言葉があるのを確かめて

完全な信仰から来る完全な信仰を

持っていたのが、ダビデであった。

 

だからこそ、ダビデは、

自分が求めているものに関して

神の御言葉があるのがわかっているので

祈る勇気が持てたのである。

 

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私たちは、祈ったことが神の御心かどう変わらないのだ。

それを求めてもよいのかどうか、わからないのだ。

だから、祈りが答えられたかどうかもわからないのだ。

 

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神は、自分に似せた造った被造物たちには、

確かに歩んでもらいたいと望んでおられる。

だから、御言葉を与えられた。

 

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この神の御言葉は、人を良い行いのために備えさせてくれる。

命と信心のために必要なすべてのものを与えてくれる。

 

はっきりと述べられた神の御心に従って求める人は、

自分の祈りが聞かれて、求めたものが、与えられるという確信が持てるのだ。

 

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信仰は、神の御言葉からのみ来るということを忘れてはいけない。

信仰を育てるには、神の御言葉を増し加えなければいけない。

 

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神の御言葉を増し加える唯一の方法は、

御言葉を聞き、その御言葉通りのことを神に祈り求め、

その御言葉に全く頼り、それを既に受けたことに感謝することである。

 

こうして、我々は、神の御言葉を受け、

その御言葉は、我々の内に住む。

 

これが、信仰の働かせ方である。

 

信仰は、神の御言葉によってしか働かせることができない。

神の御言葉がなくては、信仰はあり得ないからだ。

 

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マラナ・タ

 

御言葉とは「キリスト・イエスご自身」である。

そのことを知って、御言葉を読む人と、

そのことを知らずして、聖書を「文字」として読む人がいる。

 

知恵と理性と感情(情緒的・感傷的)理解で終わる人がいる。

神の霊に導かれて、読む人の霊が震動し、キリストの臨在を体験する人がいる。

それが、キリストの霊を受けたか、受けていないかの違いではないだろうか。