ごきげんよう!さわこです。

仮庵の祭(スコット)には、

伝道の書(コヘレト)をユダヤ社会では読むと聞きます。

 

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1章2章を私的意訳で。

 

一つの世代が去り、次の世代が来る。 

風は南に北に巡り巡る。  

昔あったものは、これからもあり、

新しいものは一つもなく 

繰り返されるだけである。

 

曲げられたものは、まっすぐにはできない。

欠けているものは、数えることはできない。

 

実に、知恵が増せば、悩みも増し、 

知識が増せば、苛立ちも増す。 

 

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そうなのだ。

 

天地創造から始まり、終末に向かう人類は、

苛立っている。

苛立ちは愛を失う。 

 

神から得たはずの自由は 放縦に、

神から賜わった知恵は 狂気に。

 

神から離れて生きるなら、

食べることさえ、楽しめない。 

 

為すことのすべてに意味は見い出せず、

薄っぺらい快楽は真の愉しみにはほど遠い。

 

こうした人間関係は、むなしくないか。

こうした人生は、むなしくないか。

 

自分の労苦に満足を見出すことのほかに、

何も良いことはないではないか。

 

人生は自己満足の交響曲。協奏曲。

 

食べて飲んでの楽しみよりほかに、人にとっての幸いがないものだから、人々はグルメに走る。

メディアは食レポと、愛憎劇と、暴力と、操作された偽報道の乱舞曲。

 

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世のむなしさは、ソロモンの時代と変わらない。

ノアの洪水前の時代と変わらない。

 

だからソロモンは言う。

伝道者コヘレトは言う。

空は空、いっさいは空、すべては空。

 

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どうせ、人生に意味も目的も見い出せないならば、

飲めや歌えの、おもしろおかしく生きようぜ、

とソロモンは、そこに、

ささやかな庶民の楽しみを求めようではないかと、

人生のむなしさを手近な楽しみで埋めて行こうぜ、

 

なんて意味で書いたのではない。

 

神から離れては、

飲み食いという基本的食欲さえも楽しめないのだと。

 

だから、神様に立ち帰らなくては、

あなたの人生も、あなたの食欲も、

あなたの人間関係も、

空しい、虚しい、空虚なのだと、訴えているのです。

 

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何故、仮庵の祭に、コヘレトを読むのか?

 

イエス様の再臨の近いことを、聖書の預言から確認し、恵みの扉が閉じられるまでに、神様に立ち帰ることを迫っているからなのです。

 

 

マラナ・タ

2019年10月14日の記録から

曾野日から、3年、ご再臨に近づきました。