ごきげんよう!さわこです。

 

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キリスト教の中では一般に、

主の大祭司としての働きよりも、

犠牲としての贖いの方が、より広く知られています。

 

私たちは、注意深く、

大祭司キリストの仲保者としての贖いの役割に

目をとめる必要があります。

 

キリストが、大祭司であるということのみが、

神と人とを結ぶ生きた関係の鎖なのです。

 

キリストは、犠牲となられることによって

救いの基礎を据えれ、

赦しを可能としてくださいました。

 

次に、救いの条件を満たすための力を

与えてくださるのです。

 

赦しと力、これこそ救いの二重奏です。

 

キリストが祭司としてなされるこの重要な働きを

誤解してしまったために、

クリスチャンは、大きく逸れてしまいました。

 

その開きは、

まるで予定説と万人救済説ほどまでに

なってしまいました。

 

義認が聖化とのバランスを崩すほどに強調され過ぎると、

必然的に「一度救われたら、いつまでも救われている」

という誤った安心感、いわゆる「安価な恵み」へと

幾千幾万もの人々が陥ってしまいます。

 

義認は天国への私たちの肩書き、

聖化は資格であることを覚える時に、

全体がはっきりして来るのです。

 

ハーバート・E・ダグラス著

「そして、それから」

5章、仲保者キリストの二重の役割

52〜55ページまでから抜粋より

 

アーメン!


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いくつかの聖句から「予定説」に納得し、

いくつかの聖句から「万人救済説」に納得し、

「みことばには命がある、力がある、真理がある」

と、平安を頂きながら、

新たに見つけたいくつかの聖句から

「予定説」「万人救済説」に、違和感を持つようにもなった。

 

聖書通読のお恵みでもあった。

 

教会書庫を整理していて、この本を発掘して、読んでいるうちにそうだったのか、そういうことだったのか、と謎が解けてきました。

 

ひとつの聖句で心情的にメンタル面で救いを感じる事は多い。

しかし、その聖句に、反するような聖句にも出会う。

信仰を持っ手数年たつと、聖書は統合性が無いかのように

感じられて仕方がなかった。

 

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マラナ・タ

この本は謎が解ける一冊です。

1990年平成2年1000冊

同年7月1000冊。

アドベンチストブックスから発行。

2022年の今、まだ手に入るんだろうか?