ごきげんよう!さわこです。

 

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   山形謙二著「主よ、御国を!」322-376ページより抜粋

 

創造当初から、安息日は神との交わり、

あるいは神の御臨在の象徴として与えられました。

 

キリストの受肉によって、

その安息日の使命が部分的に成就しました。

 

すなわちキリストは

私たちのインマニエル(我らと共ににいます神)となられたのです。

 

しかし

安息日の使命の完全な成就がなされるのは、

来たるべき御国においてです。

 

御国においてこそ、

「神が人と共に住み,人は神の民となり、神自ら人と共にいます」

(黙示録21:3)経験にあずかるのです。

 

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安息日は、神との関係を

第一にするようにとの招きなのです。

 

6日目に創造されたアダムとエバが、

最初に迎えた日が安息日でした。

 

人類の歴史は、安息日の神との交わりから始まったのです。

 

私たちは6日間のわざをする前に、

まず神との交わり、

すなわち神との正しい関係に

入るように招かれているのです。

 

主なる神は、安息日には、私たちに

「神、我らと共にいます」という経験に入るようにと招いています。

 

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安息日は、アダムとエバにとって創造後の最初の日でした。

彼らは何のわざをもする前に、安息日を迎えたのです。

 

彼らが安息日を休んだのは、

彼らが何かをしたからではなく、

神がなされたわざを記念してのことでした。

 

それは、神の一方的なわざであり、神からの賜物でした。

 

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さらに安息日は、

十字架による贖いの完成の記念日

(再創造の記念日)でもあるのです。

 

キリストは十字架で亡くなられた後、

すぐに復活することもおできになりましたが、

あえて、安息日は墓の中で休まれました。

 

神が創造の完成を祝って第7日目に休まれたように、

キリストは、罪からの再創造である十字架の贖いの

完成を祝って第7日目安息日を休み、

日曜日に復活されたのです。

 

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私たちが、第7日安息日を守ることは、

私たちの創造主なる神のみが、

私たちを再創造してくださる主であることへの信仰表明なのです。

「神の戒めを守り、イエスを信じる信仰を持ち続ける聖徒」(黙示録14:12)

 

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週の間中、毎日、

安息日を待ち焦がれることは、

私たちの人生すべてにおいて、

永遠の安息日を待ち焦がれるということなのです。

(ユダヤ教神学者エイブラハム・ヘッシェル)

 

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マラナ・タ

服従という言葉を理解する助けとなる別の言葉は、

天父のご意志を「受け入れること」である。

(エミー・カーマイケル)